ドラマ好きな弁護士が、オタクな目線で楽しむ『競争の番人』 ~独占禁止法・競争法の醍醐味をひとつまみ~
法律をテーマにしたリーガルドラマというのは、日本ではなかなか貴重です。弁護士が主人公の作品はあるのですが、別にその主人公は刑事でも探偵でも良いような作品も多いです。その理由は、「法律」を話の中に組み込みながら、トレンドドラマとして面白く作るのがなかなか難しいところにもあるのでしょう。その点、月9でやったイチケイのカラスは、かなり頑張っていたと思います。刑事事件が好きな自分も楽しんでいました。
さてさて、私、杉山大介は、大学時代は刑事法よりハマっていたものがあります。それが、独占禁止法、あるいは競争法です。2022年7月12日、月9が公正取引委員会をテーマにドラマを始めたとあれば、見るしかないと思いました(翌日、7月13日に執筆しています)。
また、ドラマに合わせて、本当は面白いが映像では描き切れない、法のエッセンス、背景にある哲学や考え方も語ってみたくなりました。今回はそのようなコラムの第1回です(続くかは未定です)。
1. 独占禁止法?競争法? ~自由を守るための哲学を考える学問~
意図的に並記していたのですが、実はこの競争の番人のための法律の呼び方は、2流派あります。独占禁止法anti-trust lawと競争法competition lawです。独占禁止法がアメリカルーツ、競争法がヨーロッパルーツの呼び方になります。ただし、違うのは呼び方だけではありません。アメリカは、独占を許さない。逆に言えば、独占に至ってなければある程度自由でも良いと考えています。それに対して、ヨーロッパはより積極的にフェアな競争を推奨し、弱い者いじめのような行為にも強く介入して行こうとする傾向があります。
これは、アメリカとヨーロッパで、自由に対する考え方が違うところに由来があります。独占禁止法、あるいは、競争法は、自由市場を守るための法律です。ただし、市場の自由に完全に任せると、1強の勝者が生まれてなんでも好き放題にできるようになり、価格やサービスの内容に関する努力がなくなり、最終的には商品やサービスを手にするユーザーの不利益になることがあります。そのため、一定の公的介入を行うのです。もっとも、自由を守るための介入であって、管理市場を作るのが目的ではない以上、その介入度合いには下限が必要です。ここで、自由主義を高らかに掲げるアメリカは、介入を限定的に行い、市場の機能が停止しそうな「独占」を防ぐのを主目的として選んでいます。一方で、ヨーロッパは、より正しい競争が行われるよう、介入のさじ加減を弱者への搾取などに対しても強めているのです。
このような自由に対する文化感の違いは、たとえばSNSに対してどう介入するかといった場面でも、違いがあらわれます。ドナルド・トランプ氏のツイッターアカウントが制限されたのに対し、アメリカはあくまで私企業、SNS管理者の自由だと捉えた一方、ヨーロッパ型の主格であるドイツは、私企業による暴走だとして非難の声をあげました。この時のリアクションの違いは、普段の競争当局の姿勢とも一致しており、自分は面白いと感じました。
あくまで、ひとつの傾向についてのお話ですが、自由を守るためにどうあるかという、より哲学的なテーマもはらんでいるのが、競争を考えるということだというのが、ここで強調しておきたかったポイントです。他にも、法の執行を誰が担うのかといったところで、哲学と制度設計の問題が出てくるのですが、ここではいったん割愛しておきます。
2. 市場を考えることは、一人一人のユーザーを考えること
ドラマ第1話では、日光で結婚式場を提供する各社が共謀し、値段を引き上げているという話が出てきました。それはカルテルであって、当然悪いことという前提で話は進んで行きます。しかし、そもそもそれがどう問題なのかを考えるのが本当の面白さにつながるのになあと、自分は見ながら思っていました。
1.でも述べましたが、独占市場が生じると、ユーザーは高値で買わざるを得なくなり、また質の悪いサービスでも受け入れなければならなくなります。これが、法の防ぎたい「悪」です。でも、ユーザーがそのような選択を強いられないのであれば、特に問題はないとも考えられます。どのような価格を設定し、どのような顧客を受け入れるかは、本来は私企業の自由でもあるからです。
そこで重要となるのが、ユーザーがどこまでを選択肢として入れられるかです。日光に住む人は、日光でしかウェディングを上げられず、親戚なども呼ぶには近くでなければいけず、他の街のホテルや旅館は選択肢にならないというのであれば、日光だけが市場であり、日光の業者が結託すれば、困るユーザーが出てくることになります。
一方で、結婚は生涯に一度のイベントであり、多少遠出してでも好みの場所を選んだりするので、温泉地で高級感もある那須や、都心の宇都宮も選択肢に入ることがあるかもしれません。そのような、栃木を市場としてとらえた場合、日光の企業集団が、あくまで地域ブランディングとして、サービスの向上と値上げを狙ったという行為は、悪ではない可能性もあります。
このような具体的なユーザーを想定して、市場がどこにあるか、その中で選択肢を奪われる害悪が生じていないかを考えることで、初めて法が介入すべき自由の敵が存在しているのかが、決まります。強盗などをたくらむのと違い、価格やサービスの内容を決定することそれ自体は、直ちに悪ではなく、社長同士が何か話し合ったからすぐ問題というわけでもないのです。
3. ただ法や実務を知るのではなく、自由に考える楽しみをオススメしたい
一応弁護士として解説しておくと、ドラマが間違っていたわけではありません。実務的には、共謀して価格を引き上げ利益が出た時点で、そのカルテルによって利益を生める市場と、そこ限定のユーザーがいるはずだと推定していきます。公正取引委員会(公取委)として動くのは当然でしょう。ただ、競争当局に従っているだけでは、それこそ思想の独裁市場になってしまいます。そこで、本来的な法の趣旨から考えられるところを指摘してみました。
教科書的には、「市場画定」という単語とか、よくわからない横文字のテストの名前とかが出てきたりもするのですが、原理のスタート地点は、ある経済活動に携わる生の人間についてイメージして考えてみるところにあります。そんな面白い分野、独占禁止法あるいは競争法の、入り口の入り口について、今回はドラマを素材に語ってみました。
学び考えることで、自由という哲学的なテーマをもとらえていけるところが、オタク的には醍醐味です。
- こちらに掲載されている情報は、2022年07月19日時点の情報です。最新の情報と異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
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