違法? 犯罪? ~いじめ防止対策推進法だけでは説明できない「いじめ」~
前回、「いじめ防止対策推進法」にそった法律上の「いじめ」と、そこから生じる効果を解説しました。その際には、「いじめ」の定義が被害者の主観面に依拠していて広く、「いじめ」にあたるからといって、そこから生じさせるべき法律的な効果は論理的が定まらないことを問題点として挙げました。
ただ、この時はそれでもいじめ防止対策推進法上の話に絞っていたのですが、これをより広くいじめ問題に適用できる法律に絡めると、さらにややこしさが増すことになります。
今回は、世間で見られるスローガンなども踏まえながら、世間がいじめ問題に期待する対応と法律のギャップを示していこうと思います。
1. いじめをするのは誰か? ~生徒同士ではない「いじめ」~
「いじめ」の定義が広いと指摘した、いじめ防止対策推進法ですが、それはあくまで態様のパターンについてであり、人的関係についてで言うと、学校で「いじめ」と認識される行為を全部捉えられないところがあります。なぜなら、いじめをあくまで「児童等」の行為の問題として設定しているからです。そして、「児童等」とは、学校に在籍する児童または生徒とも定義しています。
近年、高専生を教員がいじめて自殺に追い込んだ事件や、直近でも青森で、生徒の保護者が生徒をいじめて、それに学校側も加担して自殺未遂に追い込んだという判決が出た事件が起きています。これらは、いじめ防止対策推進法によって「いじめ」とは捕捉できないということになります。でも、おそらく当事者にとってはいじめの問題であるという意識があると思うのです。
このような事件は、代わりに民事裁判になります。なお、青森の事件は、総額1億8529万7240円の賠償金が認められており、学校側が控訴しているとはいえ非常に金銭的にも大きい事件となりました。
2. 不法行為としてのいじめ ~いじめ対策防止法上の「いじめ」判断は損害賠償請求と無関係~
民法709条を根拠として、不法行為に基づく損害賠償請求を認めるいじめは、複数の裁判例からすると、その行為や状況等を踏まえて社会通念上許される限度を超えており、「客観的に違法」と言える場合と言えそうです。いじめ防止対策推進法が、被害者が苦痛を感じるという主観基準であったのに対し、それが金銭賠償を認めるほどの「いじめ」かを客観的に評価するというのが、民事裁判における「いじめ」の論じ方です。
不法行為におけるいじめは、誰と誰の間の行為かという絞りはないため、学校の人間関係全般の問題について検討の余地はあります。一方で、「社会通念上許される限度を超えて」ともあるように、一定の限度を超えた問題に適用範囲を絞ろうという気配も見えます。
この法律上の定義の違いは、法律家からすると、生じる効果が学校としての措置なのか、金銭を裁判で払わせるまでするのかと程度の違いがあるのだから、そこで前提となる「いじめ」にも濃淡の違いが生じるのは論理的に当然と感じます。ただ、法律家でもないのに「いじめ」問題に関わることになる当事者だと、困惑するように思います。
具体的な場面をイメージしてみましょう。
AさんはクラスのLINEグループで無視されがちだったことにより苦痛を覚え学校も休みがちになりました。Aさんの親は学校に相談したところ、「いじめ」だとしていじめ対策組織に報告がなされ学校が調査も開始しました。その結果、生徒たちへ無視をしないよう指導が行われました。しかし、クラスLINEで無視といったことは生じなくなっても、クラスでAさんの居心地が悪いのは変わりません。そこで、学校側の対応だけで満足できなくなったAさんの親が法律事務所に相談に行き、「いじめ」があったことを話します。ところが、民事裁判の話になると、それは「いじめ」として不法行為にはならないんですよと説明を受けます。
こういうことが起きるということです。さらに、もっと過熱する場合もあります。
3. いじめは犯罪・・・とは限らない ~犯罪だから重く扱われるとも限らない~
インターネット上や、過去のポスターなどでも、「いじめは犯罪」という言葉が使われるのを見たことがあります。旭川いじめ事件においても、そのような現象を目にしました。
いじめ行為をやってはならないことであるのを強調したいのでしょうが、これはかなり”ミスリーディング“といえます。犯罪となるには、暴行・脅迫・名誉毀損など各犯罪類型の構成要件にあてはまってなければいけません。いじめ防止対策推進法の、主観基準に基づく「いじめ」では、犯罪の該当性はほとんどスクリーニングできていないも同然です。また、民事上は不法行為として重い責任を負わせるとしても刑法上違法とは限らない場合があります。自殺未遂によって将来得られるはずであった利益について損害賠償請求を認めると、その金額は1億を超えることもあるのは前記の通りですが、この生命身体への加害を犯罪として構成しようとすると、そこまでに至る因果関係を意識していたわけではなく犯罪の問題としては取り上げにくくなってしまいます。
また、仮に本当に刑法のどれかの犯罪にあたっていたとしても、逮捕といった大きな事態に至るとは限りません。大人と違って、示談といったプロセスもなく、書類が家裁に送られて特に処分もなく終わってしまうような場合も、学校内のいじめトラブルだと多いと思います。そうすると、犯罪をしたはずの人間は普通に学校に来て、今後も近くで生活をしていくことになります。仮に犯罪であっとしても、刑事事件として警察や家庭裁判所に丸投げできるわけではなく、学校内での今後を考えて行く必要があることに変わりがない場合も多いのです。
「いじめ」にあたるなら犯罪としての取り締まりが行われるのではないか。あるいは犯罪になったら逮捕されるのではないか…。そのように、刑事手続きに「過剰な期待」をしてしまうことで、学校内での解決が遠のくこともあるようです。
4. いじめ一般に法的な最適解はない
結局のところ、いじめ防止対策推進法の中で行政法的に手段を検討したのと同様、民法の不法行為や刑法も含めて「どのような手段を用いるのが最適か」を考えても、事案によって大きく違うことになります。
法律は、あくまでさまざまな手段を用意する”ツール“でしかなく、法律がいじめ問題の救世主になるわけではないというのは、強く意識しておく必要があります。一方で、法律を理解しておけば、特定の手段があることを知れるという側面があるのも間違いありません。
法律についての交通整理であれば、法の専門家が役立つ場面もあるかもしれませんので、いじめ問題を解決するのに必要な教育や心理に集中してもらうためにも、ご相談いただければと思います。
- こちらに掲載されている情報は、2022年08月18日時点の情報です。最新の情報と異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
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