「弱者男性」は「差別」されているのか? 社会から“排除”されてきた「低学歴中年男性」の支援に必要な視点
近年、「弱者男性」がインターネットを中心に注目を集めている。
4月にライターのトイアンナ氏が出版した『弱者男性1500万人時代』(扶桑社新書)はAmazonの「売れ筋ランキング」の上位に入り、X(旧Twitter)でも話題になった。
『弱者男性1500万人時代』の帯文にもコメントを提供している元プロゲーマーの「たぬかな」氏は、昨年10月に「弱者男性合コン」 を主催した。一方で彼女は男性に対する暴言を多々行っていることでも知られており、2022年には「170cmない男に人権ない」 発言が問題視され、4月にも問題発言が原因 でスポンサー契約が1件解消されたという。
「弱者男性」は「チー牛 」(いわゆる「オタク」の男性を侮辱的に呼称するネットスラング)と同様の差別用語であると批判する男性たちもいる一方で、社会に対する問題提起を行うために「自分たちは弱者男性である」と積極的に発信する男性たちもいる。
なぜ、近年になって弱者男性が議論されるようになったのか。2023年にオンラインでも公開された論考「ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか」 が話題になり、2022年には論考「「弱者男性論」の形成と変容 : 「2ちゃんねる」での動きを中心に」を発表した、メディア研究者の伊藤昌亮教授に話を聞いた。
社会から「排除」受ける男性たち
そもそも、「弱者男性」とはどのように定義できるでしょうか。
伊藤教授:まず、「弱者男性」について安直に定義するのではなく、この言葉が表すような男性たちが抱えている問題と、その背景、そしてそれに対応する支援策について、社会的な「合意」を成立させるための議論を行うことが大切だと考えます。
今日の社会は、主に2種類の「弱者性」を定めてきました。ひとつめは「経済的弱者」、貧困者や困窮者であり、高齢者や子どもが含まれることもあります。貧困の問題は戦後すぐから議論されており、経済的弱者については「社会保障などの支援策が必要だ」との合意が成立してきました。
次に、1960年代や70年代からは「差別」を受けている人も弱者であると見なされるようになりました。人種的マイノリティや性的マイノリティ、女性などです。日本の場合は部落差別も含まれます。差別の問題についても解決が必要だとの合意が成立し、日本でも1990年代から幅広く人権政策などが実施されるようになりました。
一方で、90年代からは「排除」の問題が注目されるようになりました。排除は、貧困や差別の対象となっている人にも、そうでない人にも起こり得ます。
弱者男性の問題について合意を成立させ、支援策を考えるためには、男性たちに生じている「排除」を考える必要があるのです。
具体的には、男性たちにはどのような「排除」が生じているのでしょうか。
伊藤教授:ひとつの原因は、産業構造や経済状況の変化により、戦後の日本で前提となってきた「日本型福祉社会」モデルが崩れたことです。
日本型福祉社会は「男は正社員、女は専業主婦」とする性別役割分業を前提にしていました。正社員となった男性は過酷な労働を続けて、その妻となった女性が家庭に入り夫や子・親のケアを行う代わりに、企業が社員の家族ごと経済的に面倒を見るというシステムです。
このシステムが成立している間は、日本は社会保障費を抑えつつ豊かな福祉を実現することができました。しかし、システムが崩れた後は社会保障や公的な福祉制度の不足が浮き彫りになりました。また、財界が派遣労働・非正規労働を拡大したことにより、さまざまな問題が生じたのです。
「モテない、職がない、うだつが上がらない」
伊藤教授:92年に活動を開始した社会運動グループの「だめ連」 の参加者は、自分たちのことを「モテない、職がない、うだつが上がらない」と表現しました。この言葉は、90年代以降の日本で男性たちに起こった問題をうまく表現しています。
「モテない」は「恋愛弱者」のことです。「男性は正社員になって家族を養う」ことが当たり前ではなくなり、結婚できない男性が急増しました。
「職がない」は「経済的弱者」のことです。貧困の正式な定義は「等価可処分所得の中央値の半分を下回る」ですが、そこまではいかなくとも中央値は下回る、「プチ貧困」に苦しむ人が増えました。
「うだつが上がらない」は「コミュニケーション弱者」のことです。産業構造が変わったことにより労働においてもコミュニケーション能力が求められるようになり、教育政策でもコミュニケーション能力を重視するようになりましたが、教育が間に合わず変化に対応できない人が多く生じました。
経済やコミュニケーションと恋愛・結婚は結びついているため、これらのいずれも持たない「弱者男性」が、とくに就職氷河期世代に多く登場することになりました。つまり、弱者男性とは、社会の変化の "ワリを食った”存在なのです。
「日本型福祉社会」を復活させることはできない
男性たちのなかには「女性の社会進出を抑えろ」と主張する人もおり、性別役割分業に基づく「日本型福祉社会」の復活を求める人も多くいるように思えます。
伊藤教授:まず、従来の日本型福祉社会は産業の中心が製造業であることや経済が安定的に成長することを前提とした、限定的なシステムでした。現在の社会に復活させることは、実際問題として不可能です。
また、そもそも日本型福祉社会は非常に抑圧的であり、復活させるべきでもありません。女性が生きるためには結婚するしかなく、男性にも正社員になり続ける以外の選択肢はほとんど存在しませんでした。
昭和時代の社会を理想化して郷愁を抱く人は、若者の間にも多くいるようです。また、左派やリベラルの間にすら、90年代以降に規制緩和や雇用の流動化を進めた「新自由主義」政策を批判するあまり、日本型福祉社会の復活を主張する人がいます。
しかし、新自由主義的な政策にはさまざまな問題があるとはいえ、日本の抑圧的な「ムラ社会」を是正したことは事実です。昭和の社会に郷愁を抱く人は、そこで実際に生じていた抑圧を想像できていないと思います。
「差別」と「排除」が混同されている
弱者男性と女性とでは、どちらのほうが差別や排除を受けているのでしょうか。
伊藤教授:EUで使われていた指標をもとにゼロ年代の後半に社会学者の阿部彩さん(東京都立大学教授)が作成した「社会的排除指標」による調査では、物質的な貧困のほかに社会関係や社会参加などのさまざまな点を総合すれば、男性のほうが排除度が高く、とくに「低学歴の単身中年男性」が最も排除されやすいプロフィールだったそうです。
ただし、非正規労働がもたらす経済的な問題は、女性にとってのほうがより深刻です。結局、日本型福祉社会が崩れた現在でも、結婚していない女性が生きるのは困難な状況があり、シングルマザーなどの「弱者女性」の苦労は「弱者男性」の比ではないでしょう。
そもそも男性に生じている問題を「排除」ではなく「差別」の文脈で語ることは間違っています。差別とは、歴史的な構造のなかで、ある特定の属性を持ってきた人たちに対して社会が不利益を負わせてきたことです。この意味での「差別」は女性が受けている一方で、マジョリティ側の男性は受けていません。
また、障害を持つ男性も「弱者男性」に含めるべきだ、と論じられることもあります。障害を持つ人が「差別」を受けていることは確かですが、「障害者は政策によって支援すべき」という社会的な合意はすでに成立しており、経済や恋愛とは位相が異なる問題です。
昨今の弱者男性論は、90年代以降の「排除」論で語るべき物事を、70年代以来の「差別」論に基づいて語っている点で誤っています。そのために適切に議論することが難しくなり、「実は女性よりも男性のほうが差別されている」などと主張する不毛な「逆差別」論に終始しているのです。
端的に言えば、「差別」されているのは女性であり、一方で「排除」は男性の側に目に付くようになった、ということでしょう。ただし女性は、「差別」と「排除」の両方を受けることもあり、そうした点にも配慮する必要があります。
これまで、ジャーナリズムや学問の世界で弱者男性が取り上げられたことはありますか?
伊藤教授:2003年にエッセイストの酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』が大ヒットした後に、05年に評論家の本田透さんが『電波男』を、07年にフリーライターの赤城智弘さんが『若者を見殺しにする国』を出版しました。二人とも、女性の「負け組」を論じた酒井さんに対して、「真の弱者は自分たち男性である」と主張する議論を行っています。
本田さんと赤木さんは「弱者男性論」の先駆けといってよいでしょう。
学問の世界では男性学者の西井開さんが「非モテ男性」について研究しています。また、最近では批評家の杉田俊介さんが弱者男性に関する本を複数出版しています。
ただし、西井さんや杉田さんは弱者男性たちの内面を深掘りする方向の議論をしており、社会構造についての幅広い議論はまだまだ少ないといえます。
「論破」ではなく「合意」を目指すことが大切
今後、弱者男性の支援策について社会的に議論するために必要なことは何でしょうか。
伊藤教授:ネット上の弱者男性論を目にしていて気になるのは、ミソジニー(女性嫌悪)やアンチ・フェミニズムの傾向が強いことです。
弱者男性が抱えている問題の多くは、日本社会に根深い、性別役割分業や性別に関する固定概念から生じています。フェミニズムはそれらを批判する運動なのだから、弱者男性の「敵」ではなく、共闘すべき「味方」のはずです。
ただし、ネット上では美少女イラストなどの「表象」を批判するフェミニストも目立ち、多くは「オタク」でもある弱者男性が反感を抱くのは仕方がない面もあります。表象をめぐる「差別」の問題で炎上してしまって、社会構造をめぐる「排除」の問題に議論が至っていない、というのが現状でしょう。
また、ネット上の議論は「データ」や「エビデンス」を提示しながら相手の主張を「論破」するディベートのようなものに終始することが多く、互いに「合意」を成立させるための建設的な議論が行われることはまれです。
データやグラフを扱うことは一見すると数学的で難しそうですが、実際にはどこかに転がっている情報を加工しているだけのことが多く、手軽な作業です。自分にとって都合のいいデータだけを集め続けた結果、陰謀論のような思考にハマる人も多くいます。
重要なのは、そのデータが実際には何を意味しているのかを判断して、「コンテクスト(文脈)」を見通すことです。また、相手を論破することを目指すのではなく、相手側の問題意識や考え方などにも配慮しながら自分の主張を伝えることが、合意を目指すためには大切です。
社会全体として見れば、70年代型の「差別」問題をきちんと解決したうえで、90年代型の「排除」問題に取り組んでいくべきでしょう。日本では「差別」問題への対応が遅れ、そうこうしているうちに「排除」問題が顕在化してしまったので、二つが混同され、そこに対立が生じていますが、それぞれの領域の「弱者」にどんな支援策が必要なのかを、トータルで考えていくことが必要です。
- この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいて執筆しております。
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