国民の過半数が賛成の「選択的夫婦別姓」が実現しないのはナゼ? 現役の“敏腕裁判長”が語る…最高裁判事が「全員65歳代後半」の深刻なリスク
今年4月、現職の裁判官、しかも津地方裁判所民事部のトップの裁判長(部総括判事)が、国を相手に「違憲訴訟」を提起する意向を表明し、話題になっている。
竹内浩史判事(61)。元弁護士で市民オンブズマンを務めた経歴があり、弁護士会の推薦により40歳で裁判官に任官し、かつ、自らブログで積極的に意見を発信する「異色の裁判官」である。
本連載では、竹内判事に、裁判官とはどのような職業なのか、裁判所という組織がどのような問題点を抱えているのか、といったことについて、自身の考え方や職業倫理、有名な事件の判決にかかわった経験などにも触れながら、ざっくばらんに語ってもらう。
第6回(最終回)のテーマは、裁判所の「年功序列」の問題について。竹内判事は、最高裁判事の年齢構成が「60歳代後半」に偏っていることが、わが国の司法制度に深刻なリスクを与えていると指摘する。(全6回)
※この記事は竹内浩史判事の著書「『裁判官の良心』とはなにか」(弁護士会館ブックセンター出版部LABO刊)から一部抜粋・構成しています。
裁判所人事の「年功序列」の実態
裁判所は、日本で古き良き「年功序列」がまだ残っている官庁である。
よほど差別的な人事を受けない限り、多くの下級裁判所の裁判官は、判事補任官後、「地裁左陪席」→「地裁右陪席・支部長」→「高裁左陪席」→「地裁部総括」→「高裁右陪席」→「地家裁所長」→「高裁部総括」といった具合に昇進して行き、それに伴う昇給を受けて、65歳の定年を迎える。
高裁長官は8人で1年交代としても同期の裁判官のごく一部しかなれず、最高裁判事は裁判官出身者が6人で、定年70歳まで平均6年程度務める。したがって、これらのポストは年に1つ空くかどうかであり、その前に65歳の誕生日が来てしまうと資格を失うので、就任はかなり「運しだい」という面がある。よほどの野心家でない限り、「天任せ」にして狙っていないと思われる。
ましてや最近は、最高裁判事のみならず、高裁長官の人事まで政権側が選択権を主張し、複数候補者の推薦を最高裁に求めているという(朝日新聞連載)。ついに、政権に嫌われれば、最高裁判事はおろか高裁長官にさえなれない「弱い司法」に成り下がってしまった。
最大の問題は、最高裁判事15人全員が、裁判官出身者の年齢層に合わせる形で、60歳代後半の者ばかりで占められていることだ。これは、戦前の大審院でさえ回避していた極めていびつな構成である。
ちなみに、最高裁判事の年齢資格は、裁判所法では40歳以上とされているが、60歳未満で就任した最高裁判事は、前例も含めて皆無に近い。
最高裁判事が全員「60歳代後半」であることが抱える「深刻なリスク」
このような高齢化が、最高裁の判断にどのような影響を及ぼすか。
最近の分かりやすい例として、「選択的夫婦別姓訴訟」の2回にわたる最高裁大法廷判決における意見の分かれ方を見れば、一目瞭然と思われる。
まず、1回目の平成27年(2015年)12月16日の判決。夫婦同姓を強制する現行民法の規定を10人対5人の多数決で「合憲」とした。「違憲」の少数意見の5人は櫻井龍子(官僚出身)・岡部喜代子(学者出身)・山浦善樹(弁護士出身)・鬼丸かおる(弁護士出身)・木内道祥(弁護士出身)であった(任命順)。
次に、2回目の令和3年(2021年)6月23日の決定。同様に現行民法・戸籍法の規定を11人対4人の多数決で「合憲」とした。「違憲」の少数意見の4人は宮崎裕子(弁護士出身)・三浦守(検察官出身)・草野耕一(弁護士出身)・宇賀克也(学者出身)であった(任命順)。なお、宮崎裕子裁判官は戸籍上の氏が異なる「通称」使用者である。
2回目の大法廷判決であっただけに、合憲から違憲への判例変更が期待されたが、どうも、当初係属していた第二小法廷が長官を除いて2人対2人の同数に意見が分かれたため大法廷に回付したようだ。
「違憲」の少数意見に立った裁判官は、その間に全員入れ替わっているが、1回目の判決では5人中3人までが女性であり、2回目の決定でも4人中1人が女性であることが注目される。おそらく、最高裁判事15人中7人を女性が占めるに至れば、男性裁判官の一部の同調を得て多数派を形成し、違憲判断への判例変更が容易に行われると予想される。
しかし、女性裁判官の比率の低さ以前の深刻な問題がある。それは、最高裁判事の15人全員が60歳代後半という「年齢構成」である。
すでに世論調査では、青年・中年層を中心に、選択的夫婦別姓への法改正を支持する意見が過半数を占めてきている。それにもかかわらず、合憲判決が重ねられているのは、このような最高裁のいびつな年齢構成に原因があると指摘せざるを得ない。
裁判所が「司法修習生に不人気」の原因
裁判官出身者・検察官出身者にとっては、最高裁判事が通常の定年後も70歳まで勤続することができる最高ポストであるから、60歳代での就任もやむを得ないかも知れない。
しかし、その他の官僚や学者・弁護士出身者枠については、40歳代・50歳代の最高裁判事を任命すべきであろう。そうしなければ、平均的な国民世論とかけ離れた時代遅れの判例が積み重ねられることになってしまう。
裁判所が司法修習生に不人気なのは、高裁長官や地家裁所長ら「裁判をしない裁判官」による裁判官のSNSへの対処も含め、このような古い体質と感覚にあると思う。
尊敬する滝井繁男元最高裁判事(弁護士出身)に『最高裁判所は変わったか』(岩波書店、2009年)という名著があった。平成時代(1989年1月8日~2019年4月)の最高裁は、司法改革や政権交代の影響もあって若干のリベラル化の傾向が見られ、私も大いに期待していた。
しかし、現状の最高裁は、一貫して保守的で狭量とさえいえる政治的な任命人事の結果もあって、昭和時代への先祖返りをしていると評さざるを得ない。
最高裁に「裁判をしない裁判官」は必要か?
かつて、日本テレビ系で故・大橋巨泉氏が司会をする「巨泉のこんなモノいらない⁉」という人気番組があり、平成元年(1989年)9月17日の放送では「最高裁判所」が取り上げられた。その内容は番組本の最終巻(大橋巨泉『巨泉のこんなモノいらない⁉ 決定版〈第3巻〉』(日本テレビ放送網、1990年))の最終章で読むことができる。
私はさすがに最高裁が「いらない」とはいわない。憲法が定める最上級審であり、実際に憲法判断と判例統一も必要だからである。
最高裁判事を補佐する「最高裁調査官」も不要とはいわない。本当は先述の滝井元最高裁判事も提唱されていたように、アメリカ連邦最高裁のように各裁判官が雇い入れる「ロー・クラーク」制の方が優れていると思うが。
私が疑問を禁じ得ないのは、常に数十人もの「裁判をしない裁判官」を擁している「最高裁事務総局」が本当に必要なのか、ということである。優秀な書記官・事務官にやってもらえばよい仕事ではないのか。裁判官であるからには、下級裁判所で裁判を担当してもらった方がはるかに良いと思う。
下級裁判所の重要な事項も、長官や所長に安易に委任せず、原則どおり裁判官会議で討論して決議し、全員で裁判を分担した方が良い。そのためであれば、年に1日や2日は裁判官会議に費やしても惜しくはないと思う。
私は61歳である。65歳の定年まであと数年に過ぎなくなった。国民が真に「憲法の番人」として期待し、後進が希望に胸を膨らませて裁判官・事務官として入って来る、そんな裁判所に変わってほしいものだ。
- この記事は、書籍発刊時点の情報や法律に基づいて執筆しております。
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