“SNS不適切投稿”の岡口判事を「罷免」した弾劾裁判の“中身”の問題点…国会議員が「裁判官の表現の自由」を裁く危険性

弁護士JP編集部

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“SNS不適切投稿”の岡口判事を「罷免」した弾劾裁判の“中身”の問題点…国会議員が「裁判官の表現の自由」を裁く危険性
講演する岡口基一元判事(7月31日 都内/弁護士JP編集部)

4月に「SNSでの不適切な投稿」を理由に弾劾裁判で裁判官を罷免された岡口基一元判事の講演会が、7月31日に都内で開催された(ベンラボ主催)。

岡口氏に対する罷免判決には、弁護士会や学界、一般市民からも批判の声が上がっている。今回の講演会では、岡口氏自身が、罷免判決に至る一連の経緯について、裁判官の視点からも語った。浮き彫りにされたのは、現行の弾劾裁判制度が抱える手続き面の問題、本件の弾劾裁判の手続き面・内容面の問題である。

今回は、主に内容面の問題に着目し、岡口氏の指摘を踏まえつつ検証する(後編/全2回)。

※前編:“SNS不適切投稿”の岡口裁判官を罷免した弾劾裁判「手続の違法」とは? 国会議員が“ガチ裁判”を行うリスク

事実認定と判決理由の“論理的な矛盾”

岡口氏は、SNSへの投稿などの表現行為を行い、それらが刑事事件の遺族の心情を傷つけたとして、国会議員が行う裁判官弾劾裁判で罷免され、法曹資格も剝奪された。

本講演会で岡口氏は、この弾劾裁判の判決について、事実認定と判決理由とが論理的に矛盾しているという問題点を挙げた。

弾劾裁判で主たる問題となった表現行為は、2つの投稿(「①刑事事件投稿」と「②犬事件投稿」)である。いずれも、弾劾裁判所の事実認定は、岡口氏に戒告処分を行った最高裁および、岡口氏に対し提起された民事訴訟の判決を行った東京高裁の事実認定を否定している。

このうち、「①刑事事件投稿」は以下の文章の下に実際の判決文が掲載された裁判所の公式ページへのリンクを貼ったものだった。

「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える男 そんな男に、無残にも殺されてしまった17歳の女性」

ちなみに、この文章は岡口氏のオリジナルではなく、実際の判決文中の表現を基にしたものである。

最高裁は、岡口氏に戒告処分を下した分限裁判において、戒告処分の理由としてこの「刑事事件投稿」を挙げ、「閲覧者の性的好奇心に訴えかけて、興味本位で刑事判決を閲覧するよう誘導しようとするもの」としていた。

また、遺族が岡口氏を被告として提起した民事訴訟の二審の東京高裁判決(令和6年(2024年)1月17日)も、これとほぼ同じ理由によって不法行為(民法709条)の成立を認めた(ただし、時効が成立するとし、他の投稿について不法行為の成立を認め44万円の損害賠償を命じた)。

つまり、「刑事事件投稿」が「閲覧者の性的好奇心に訴えかけて、興味本位で刑事判決を閲覧するよう誘導しようとするもの」だとする事実認定は、最高裁の分限裁判での戒告処分の中核的な理由となっている。また、東京高裁の民事訴訟で「刑事事件投稿」の不法行為性を認めるにあたっても中核的な理由となっている。

この点について、弾劾裁判所は、「性的好奇心に訴えかけて、興味本位で刑事判決を閲読(えつどく)するものを誘引する意図が被訴追者(岡口氏)にあったとは認められない」と断じた。これは、最高裁の戒告理由と、東京高裁が「刑事事件投稿」を不法行為とした理由の根幹をなす事実認定を明らかに否定するものである。

ところが、弾劾裁判所は、そのように最高裁や東京高裁の事実認定を否定しておきながら、「刑事事件投稿」について東京高裁が「不法行為」にあたると判示したことを主要な理由の一つとして、「国民の信託に対する背反」「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」にあたるとして罷免判決を下している(【図表】参照)。

【図表】弾劾裁判「罷免判決」の論理構造(弁護士JP編集部作成)

岡口氏:「弾劾裁判所の判決理由には、『東京高裁、東京地裁はそう言っていますよ』としか書かれておらず、『私たちはこう考えました』ということはまったく書かれていない。

しかも、判決理由の論理は完全に破綻している。

東京高裁が『刑事事件投稿』を『不法行為にあたる』と判示した理由は、『性的好奇心に訴えかけて、興味本位で刑事判決を閲読するものを誘引する意図』があったからというものだ。弾劾裁判所はそれを全否定している。

そうであれば、『東京高裁の判断はおかしい』という論理的帰結になるはずだ。

それなのに、私を罷免する最大の理由として東京高裁が『不法行為にあたる』と判示したことを挙げている。理由と結論が整合していない」

講演する岡口氏(右はゲストの津地方裁判所 竹内浩史判事)

「不意打ち」の問題も

また、弾劾裁判所は、民事訴訟の一審の東京地裁判決(令和5年(2023年)1月27日)が「刑事事件投稿」を「公法上の義務に違反する」と判示したことも罷免事由の理由のひとつに挙げている(前掲【図表】参照)。

この点について、岡口氏は「防御の機会が与えられなかった」と指摘した。

岡口氏:「東京地裁が『公法上の義務に違反する』としたのは、本来書かなくてもよかったものだ。訴訟の対象ではなく、判断する必要がなく、判断してはならない事項だった。

判決でそんな判断をされるとは夢にも思っていなかったので、訴訟のなかで防御活動もしていなかった。完全に不意打ちだ」

本来、判決を導く上で重要なポイントについては、主張立証の機会が十分に保障されなければならない。この点は手続き上の問題点でもある。

「犬事件投稿」は弾劾事由にあたらないとしたが…

次に、「②犬事件投稿」に関する弾劾裁判所の事実認定においても、論理的整合性の問題が指摘される。

弾劾裁判所は、最高裁の事実認定を否定している。犬事件投稿は、以下の文章の下に、「sippo」というペット関連情報サイトの記事へのリンクを貼ったものだった。

「公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3カ月くらい経って、元の飼い主が名乗り出てきて,『返してください。』え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?3カ月も放置しておきながら…裁判の結果は…」

リンク先の記事は犬の所有権に関する東京高裁の判決を取り上げたものだった。

最高裁は岡口氏に対する分限裁判において、この「犬事件投稿」について、「当該訴訟の原告が訴訟を提起したことを非難しているように読める」ことを理由に「非行」にあたるとしていた。

これに対し、弾劾裁判所は「当該事件の原告による訴訟提起行為を一方的に不当とする認識又は評価を示したとまでは認められない」として、ここでも最高裁の事実認定を否定している。ところが、そのように論じておきながら、「非行」には該当するとした。

そして、そのうえで「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」ではないとし、弾劾事由にあたらないとした。

この論理構成は、「裁判官としての威信を著しく失うべき」かを判断する以前に、最高裁が示した「非行性」の論拠自体を否定していることとの整合性に問題がある。

「表現の自由の制約」が問題となる「法律解釈」を弾劾裁判所で行う難しさ

以上は主に論理的整合性、すなわち日本語の基本的な文法のレベルの問題だが、岡口氏はそれに加えて「表現の自由」に対する理解が不足している点にも問題があると指摘する。

本件で問題となった弾劾事由は「職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき」である(裁判官弾劾法2条2号)。

「威信を著しく失うべき非行」は評価を含む抽象的な要件であり、適用の仕方によっては人権侵害のおそれがあるため、憲法に適合するように解釈する必要がある。

本件では、岡口氏のSNSでの投稿等の表現行為が問われており、表現の自由(憲法21条)の制約が問題となる。岡口氏は大きく2つの問題点を指摘している。

第一に、弾劾裁判所が「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」の「著しく」は「国民の信託に対する背反」を意味すると解釈した点について、明確性を欠き、萎縮効果を招くものだと指摘した。

岡口氏:「『裁判官としての威信を著しく失う』と『国民の信託に反する背反』とでは意味がまったく異なり、完全に解釈の限界を超えている。

事実上、法文を書き換えて『法改正』をしてしまっている」

この点については、東京弁護士会の会長声明においても、「規範としては曖昧」「萎縮効果に対する最大限の考慮があったとは言い難い」と批判されている。

第二に、弾劾裁判所が前述のように「刑事事件投稿」が「結果として遺族を傷つけた」ことを罷免判決の主要な理由の一つとしている点については、表現の自由の理解を根本的に誤っていると指摘した。

岡口氏:「表現の自由については、誰かを傷つける意図をもたずに表現行為をして、結果的に誰かが傷ついたという場合に、法的責任を問うべきではないと考えられている。

そのような場合にまで法的責任を問えるということになると、委縮して表現行為自体ができなくなってしまうからだ」

前述のように、弾劾裁判所は「刑事事件投稿」について被害者遺族を傷つける意図はなかったと明確に判断している。したがって、表現の自由の原則的な考え方によれば、法的責任を問われるべき場面ではなかったことになる。

表現の自由の原則については、詳しくは5月20日公開記事での武蔵野美術大学 志田陽子教授へのインタビューを参照されたい。

なお、岡口氏は、東京高裁の遺族やマスコミへの対応にも問題があったと指摘している。

岡口氏:「私はすぐに投稿を削除したが、遺族の方が東京高裁に抗議に訪れた。私はその時出勤していたので、私がお目にかかって謝罪するのがベストだったと思う。

ところが、東京高裁は遺族が来庁したことを私に知らせず、遺族を帰した。そして私は、事務局長から遺族やその代理人との面会を一切禁じる職務命令を受けた。

東京高裁がそうしたのには思惑があったと考えられる。というのも、後になって知ったことだが、東京高裁の刑事部には『性犯罪に関する刑事事件の判決文はウェブサイトで公開しない』という内規がある。問題の判決文は、それに違反して掲載されたものだった。

私は刑事部の裁判官ではないので、そのような内規は知らなかった。東京高裁は、内規に違反して判決文をHPに掲載したミスを国民から批判されないように、『悪いのは岡口だ』ということで話を終わらせようとしたのではないかと思う。

東京高裁はその後、何度も遺族との面会を重ね、マスコミは岡口批判を繰り返すようになった。私は遺族に面会して謝罪することも許されなかった」

証拠なき恣意的な事実認定も「弾劾裁判所の裁量」?

岡口氏は、弾劾裁判での事実認定のあり方についても問題があったとする。

岡口氏:「『国民の信託に対する背反』の認定方法にも問題があった。

弾劾裁判所は、民事訴訟で私の『刑事事件投稿』が不法行為にあたると判示したことを主要な理由としている。

民事訴訟は当事者、つまり私と被害者遺族の間だけの問題だ。なぜ、民事訴訟で不法行為と判示されたことが『国民の信託に対する背反』という国民全体の問題になるのか。

もしそのように認定するならば、証拠が提示されなければならないはずだった」

ところが、弾劾裁判の判決理由には、事実認定について以下のように記載されている。

「『司法に対する国民の信頼』を害したかどうかの認定は、その時々の弾劾裁判所を構成する裁判員の良識に依存する」
「時の弾劾裁判所の裁量に属する項目であって、通常の要証事実のような立証責任は問題にならない」

岡口氏:「事実認定は裁判所(裁判官・裁判員)の自由な心証に委ねられるが(※)、恣意的に行うことは許されない。経験則に則った合理的なものでなければならない。

また、その前提として、事実の認定は当事者が提出する証拠に基づかなければならず、裁判所はそれ以外の証拠を勝手に考慮してはならない」

民事訴訟法247条、刑事訴訟法318条参照

前者についてはいうまでもないが、後者については補足が必要だろう。「証拠裁判主義」といい、刑事訴訟法では明文で定められている(同法317条)。また、民事訴訟法ではストレートに定めた条文はないが、当然の前提と考えられている。

岡口氏:「裁判官弾劾法は(証拠裁判主義を定めた)刑事訴訟法の規定を準用している(※)。

それなのに、弾劾裁判所が事実認定のあり方について『弾劾裁判所の裁量に属する』『通常の要証事実のような立証責任は問題にならない』と断じているのは、裁判の基本原則を無視した重大な違法があるといわざるを得ない。

東京弁護士会の会長声明でも、この点を指摘して批判している。

弾劾裁判の証拠調べの手続きには刑事訴訟法の規定が準用されているが、もしも刑事訴訟で同じことが認められたら、とんでもないことになる」

裁判官弾劾法29条2項、刑事訴訟法317条参照

岡口氏に対する弾劾裁判の罷免判決は、上述の通り、判決と理由との論理的整合性、法解釈のあり方、表現の自由という重要な基本的人権に対する理解、事実認定と証拠との関係といった点に問題を抱えていることが指摘される。また、それに加え、前編で指摘された手続き上の諸問題もある。

弾劾裁判も「裁判」であることに変わりはない。また、罷免判決は、裁判官の身分のみならず法曹資格までも奪うという重大な不利益をもたらすものである。だからこそ、論理的に筋が通っていることが要求される。また、事実認定も証拠に基づき合理的な経験則に則って行われなければならない。法の解釈適用も、原理原則に従わなければならない。

そうでなければ、事実上「なんとなく裁判官に相応しくないから罷免する」「とにかく気に入らないから罷免する」ということが許され、まかり通ってしまうことになりかねない。

そして、人権保障の担い手である裁判官に対する「裁判」でそのようなラフな扱いが認められるならば、一般国民の基本的人権の保障の砦としての裁判所・裁判官の役割が期待できなくなるおそれがある。

岡口氏に対する罷免判決の「結論」を支持する、しないにかかわらず、その点に留意しておかなければならないだろう。

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