夏休み“宿題代行”今年もフリマアプリに続々出品 「子どものボツ作品」で稼ごうとする人も

弁護士JP編集部

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夏休み“宿題代行”今年もフリマアプリに続々出品 「子どものボツ作品」で稼ごうとする人も
「夏休み最終日にまとめてやった」という人も少なくない?(genzoh / PIXTA)

8月後半、全国各地の小中学校、高校で続々と夏休みが終わりを迎える。この時期に毎年、フリマアプリをにぎわせるのが「宿題代行」だ。

2018年8月29日には、メルカリ、ヤフオク!(ヤフー)、ラクマ(楽天)の3社と文部科学省がそれぞれ「宿題代行への対応について」との合意書を発表。フリマアプリ側は、3社とも「宿題代行に関する役務を提供することはこれまでも禁止としていましたが、宿題の完成品の売買についても禁止であることを明確化するとともに、宿題代行に関する出品を発見した場合には、速やかに商品削除等の対応を行います」と宣言した。

また文部科学省側は、「各学校が家庭と連携し、子供たち一人一人にとっての宿題の意義やその適切な在り方を改めて考えることを促すなど、自分で宿題に取り組むことの大切さを周知してまいります」との立場を明らかにした。

子どもが“ボツ”にした作品を販売する人も

フリマアプリと文部科学省の合意から6年、ユーザー数がもっとも多いとされるメルカリで「夏休み 宿題」と検索してみると、多くの商品がヒットする。

既製品の自由研究キットや、工作に使う牛乳パック、木材端材のセット、読書感想文におすすめの本などもあるが、貯金箱やキャンドルなどの「完成品」を出品している人も少なくない。

自由研究や読書感想文に関連した出品物に目を向けると、「丸写しはご遠慮ください」「自分の意見も入れながら」と辛うじて注意を促しながら出品されているものがある一方、「あとは写すだけ」「所要時間10分」など堂々と記載されているものもあった。

また、自身の子どもに書かせた習字作品を「希望があれば(購入者の)名前も書き入れる」旨記載して販売する出品者や、子どもが夏休みの宿題として制作したものの“ボツ”にした絵画作品を出品し、リサイクルしようとする人までいた。

メルカリの広報担当者に、この6年の具体的な取り組みや、宿題代行に関する出品数の動向、手応えなどについて質問したところ、「個別の出品物・削除数・行為に関しての回答は控えさせていただいております」とのことだった。

なお、同社のガイドラインには「禁止されている出品物」として「宿題や自由研究、論文など、本来自らが行うべき行為の他者による代行・代筆(完成品を含む)」と明記されている。前出の担当者も、「サービス・権利など実体のないものにつきましては、ガイドラインのとおり禁止出品物としております」と説明をした。

「なぜ宿題があるのか」文部科学省の答えは…

宿題代行もさることながら、近年は生成AIで作成した読書感想文を提出する子どもが現れるなど、宿題そのものの意義が注目される機会も増えている。

昨年は、山形県新庄市の公立小学校が児童の自主性を促す狙いなどから、宿題を廃止したとして話題になった。こうした動きは、全国各地で増えつつあるという。また香川県高松市では、結果として不採択になったものの、昨年、宿題の原則廃止を求める陳情が市議会に提出されている。

宿題の要否について、SNSでは「親も宿題付き合ったりでめんどい」「やりたい子は、自由にやればよい」など歓迎する声も見受けられる。一方、子どもが「先生がしなくていいって言ってる」と勉強しなくなったり、成績が下がったケースもあるようだ。小学校1年生の子どもを持つ女性は、「(宿題があることで)今、学校でどんな内容を勉強しているのか分かってありがたい側面もある」と口にする。

日本における義務教育制度は明治5年(1872)に発令された「学制」から始まっている。宿題の起源について文部科学省に尋ねたところ「分からない」とのことだったが、さまざま調べていると、「明治時代にはすでにあった」との話も聞こえてくる。

ではなぜ現在、多くの小中学校、高校で宿題が出されているのだろうか。文部科学省の担当者は、以下のように説明する。

「宿題については制度として定められているわけではなく、各学校の方針・判断で出している状況です。具体的に何%くらいの学校で出されているのか、統計として調査しているわけではないため正確なことは分かりませんが、おそらくほとんどの学校が出しているのではないかと思います」

前述のように、近年では宿題の存在意義が問われたり、宿題を廃止する学校も出ている。文部科学省として今後、宿題に関する方針を示す予定があるのかについては、「宿題が必要ないということで廃止した学校があることは、報道などで承知している。ただし宿題を出さなくていい、出すべきだということについては、文部科学省として発信する予定はない」とのことだった。

大切なのは、宿題の有無ではなく、子どもひとりひとりが大人になったときに「何が身についているか」ではないだろうか。多様性がうたわれる今、宿題のあり方そのものを見直す時期に来ているのかもしれない。

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