身に覚えのない「79万7484円の詐欺・窃盗」の疑いで“自衛官の退職金”が「差止め」? 裁判所が下した「判断」とは

弁護士JP編集部

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身に覚えのない「79万7484円の詐欺・窃盗」の疑いで“自衛官の退職金”が「差止め」? 裁判所が下した「判断」とは
判決後、会見する原告代理人・指宿昭一弁護士(10月2日 東京都千代田区/弁護士JP編集部)

陸上自衛隊において「詐欺または窃盗に該当する行為」の疑いで退職手当等の「支払い差止め処分」を受けた元自衛官男性のA氏(59歳)が、その処分が違法なものであり損害を被ったとして国を相手取り損害賠償を求めて提起していた訴訟で、10月2日、東京地裁(德増誠一裁判長)は、原告の請求を棄却する判決を言い渡した。

A氏は「詐欺または窃盗に該当する行為」はまったく身に覚えがないことだとしている。

判決後の記者会見で、代理人の指宿(いぶすき)昭一弁護士は、「きわめて不当な判決だ」と批判した。

退職手当等の「支払い差止め処分」の経緯

本件訴訟の訴状とA氏の話によれば、A氏は、陸上自衛隊の「補給統制本部」の「給食班」に所属していた元自衛官である。2019年8月に自衛隊を定年退職した。

A氏の業務は、隊員向けの食堂において、隊員に事前申請によって有料で食事が提供される制度(有料喫食制度)に関する業務を行っていた。業務内容は以下の通り。

①A氏が管理する一覧表に、隊員に手書きで有料喫食の希望を書き込んでもらい、それを基にExcelで申込一覧表を作成し、総務課の担当者に提出
②印刷した申込一覧表を食堂等に貼り出す

なお、実際の食事の提供にあたっては、各隊員が事前申請をしているか否かの確認をすることはなく、配膳棚に置かれた料理をセルフサービスで受け取る方式がとられていた。

【図表1】本件訴訟の前提となる事実関係(訴状・判決書をもとに作成)

A氏は定年退職直後、2019年9月5日付けで、本部長から「詐欺(刑法246条)または窃盗(同235条)等にあたりうる有料喫食申込の過少申請の疑い」があり、「犯罪があると思料するに至ったとき」(退職手当法13条2項)にあたるとして、「退職手当」の支払い差止め処分を受けた。

続いて、同年10月11日付けで、上記と同じ理由により、「懲戒免職処分を受けるべき行為をしたことを疑うに足りる相当な理由があると思料するに至ったとき」(給与法27条の8-2項2号)にあたるとして、55歳で定年退職する自衛官が受け取る「若年定年退職者給付金」の支払い差止め処分を受けた。

その後、結果として「支給制限処分」「不支給処分」がなされないまま1年が経過したため、法律の規定によって本件「支払い差止め処分」が取り消され、A氏は退職手当を全額受け取ることができた。

しかし、A氏はその間、「支払い差止め処分」を受ける覚えがなかったため同処分の「取消訴訟」を提起して争った。なお、この取消訴訟は、退職手当等が支払われたことにより訴えの利益が失われたため、A氏みずから取り下げている。

A氏は、違法な「支払い差止め処分」により、退職金の支払いを1年間受け取れず、多大な経済的不利益と精神的損害を受けたとして、国家賠償法1条1項に基づき、損害賠償金合計414万9066円の支払いを求めて本件訴訟を提起した。

結果的に退職金は受け取れたが…損害賠償請求額「約415万円」の内訳は?

A氏が本件訴訟で請求している損害賠償額414万9066円の内訳は以下の通り。うち284万9066円が取消訴訟の弁護士費用であり、その他は「精神的損害」(慰謝料)となっている。

【経済的損害】
・「支払い差止め処分」の取消訴訟(取下げ済)にかかった弁護士費用: 284万9066円

【精神的損害】(合計130万円)
・冤罪による精神的苦痛:50万円
・娘の七五三を祝えなかったこと:10万円
・特別昇進の取消し:30万円
・送別会行事を辞退せざるを得なかったこと:10万円
・自衛隊元同僚との交流途絶:20万円
・生活困窮によりオートバイを売却せざるを得なかったこと:10万円

国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求を行うには、国の違法な行為によって、原告の損害が発生したという「因果関係」が必要とされる。

この点について、A氏と指宿弁護士は、もしもA氏が「支払い差止め処分の取消訴訟」を提起しなかったら、退職手当等の支払いを受けることができなかった可能性があったと指摘する。

原告の元陸上自衛官・A氏(10月2日 東京都千代田区/弁護士JP編集部)

A氏:「退職手当等の支払い差止めの処分を受けた際、理由として示された内容が『懲戒免職相当』というものだったので、処分が取り消されない限り、退職手当等を受け取ることができないものだと思った」

指宿弁護士:「もし、A氏が『支払い差止め処分の取消訴訟』をしていなかったら、退職手当等が支払われなかったのではないかと危惧している。

A氏が取消訴訟を起こし、訴訟手続きのなかでA氏の正当性を主張したからこそ、自衛隊側も最終的に退職手当等を支払わざるを得なかったのだと考えている。

A氏は取消訴訟を提起せざるを得なかったというべきだ」

「ミス」はあったがその都度修正…まったく身に覚えのない「79万7484円」

A氏は、業務において細かなミスはあったものの、「79万7484円」という多額になることは考えられず、犯罪の故意も一切なかったと述べる。

A氏:「私は、申込一覧表を作成するごとに上司にうかがいを立ててチェックを受けていた。『行のズレ』や『月の書き間違い』などのミスの指摘を受けた程度で、いずれも重大なものではない。

また、隊員から『この日は休みなので消してください』とか『すみません、行を間違えました』とか、修正を頼まれたことはある。それらを受けて、私は、人間誰しも間違いがあるので責めても仕方ないと思い、一切とがめることなく対応していた。まさか、時間が経って、それが自分にこんな形で返ってくるとは思わなかった。

上司からミスの指摘を受けたら、金額はその都度修正されており、大きなズレがあったとは考えにくい。79万7484円もの多額の損害を発生させた覚えは全くない」

刑法上の「詐欺罪」「窃盗罪」とは「別モノ」?

指宿弁護士は、そもそも刑法上の「詐欺」「窃盗」に該当する事実が認められないと指摘する。

指宿昭一弁護士(10月2日 東京都千代田区/弁護士JP編集部)

指宿弁護士:「行政処分であっても、犯罪事実があったとして不利益処分を課する場合には、『罪刑法定主義(※)』が適用されるべきだ。

刑法に定める『詐欺罪』『窃盗罪』に該当する事実の有無が判断されなければならないはずだ」

※罪刑法定主義:犯罪に該当する行為の内容と、その行為に科される刑罰を、法律で明確に規定しておかなければならないとする原則

刑法は「詐欺罪」と「窃盗罪」について以下の通り規定している。

【刑法246条(詐欺)】
1項:人を欺いて財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する。
2項:前項の方法により、財産上不法の利益を得、または他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

【刑法235条(窃盗)】
他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役または50万円以下の罰金に処する。

A氏の行為はこれらの犯罪に該当するか。以下、判決書から原告の主張を引用する。いずれも、A氏の行為は、その真偽を吟味する以前に、そもそも「詐欺罪」「窃盗罪」の対象となりえないというものである。

(詐欺について)
「『財物』または『財産上の不法の利益』という客体の特定がなく、原告自身は超過した喫食をしておらず、原告と喫食した第三者との間に特別な事情は存在しないから、原告または第三者が『財物』または『財産上の不法の利益』を得たとはいえない」

(窃盗について)
「いつ、どこで、誰の、どの財物を対象としているのかという客体の特定がなく、原告自身は超過した喫食をしておらず、原告または第三者に『財物の占有を移転した』とはいえない」

なお、詐欺罪・窃盗罪の主観的な成立要件である「故意」についても、原告は「故意がなく、故意を立証する証拠もない」と主張している。

故意の有無はともかく、退職手当等の「支払い差止め」処分の理由とされた行為が刑法上の「詐欺罪」にも「窃盗罪」にも該当しないことは、条文の規定から明らかといわざるを得ない。

裁判所は、「支払い差止め処分」の理由とされた「詐欺(刑法246条)または窃盗(同235条)等にあたりうる行為」が、刑法上の「詐欺罪(刑法246条)または窃盗罪(刑法235条)に該当する行為」とは別のものだと判断したことになる(【図表2】参照)。

【図表2】裁判所による「詐欺または窃盗にあたりうる行為」の解釈

「犯罪行為に該当する事実」の立証は「相当程度の確証」で足りるのか?

被告(国)側の主張によれば、総務部の調査の結果、A氏が2016年4月~2019年2月の間に少なくとも2053食分(合計79万7484円相当)の過少申請をしていたことが認められ、かつ、他の隊員等の供述もあったため、「詐欺罪」または「窃盗罪」にあたることについて「相当程度の確証」をもって、A氏に対する処分を行ったという。

裁判所は判決で、被告(国)側の主張を容れ、処分を下すにあたっては「相当程度の確証」があれば足りるとし、陸上自衛隊側の調査・立証に違法性はなかったと判示した。

この判示に対し、指宿弁護士は、犯罪行為に該当する事実を根拠として処分を行う場合には厳格な立証が求められてしかるべきだと述べる。

指宿弁護士:「犯罪の嫌疑をかけられ、退職金を一時的とはいえ受け取れないという重大な不利益を与える処分なので、『相当程度の確証』で足りるとすべきではない。

刑事事件で嫌疑を立証できる程度の証拠を揃える必要があるはずだ」

「相当程度の確証」を得るための「調査・立証」はどのように行われたか

では、陸上自衛隊側で「相当程度の確証」を得るための調査・立証活動はどのように行われたのか。

裁判所の事実認定によれば、総務部は、A氏に対する退職手当等の支払い差止め処分を行う前提として、事実関係を立証するため、「喫食状況の撮影画像の確認」「給食班隊員らに対する聞き取り調査」等を行っている。

まず「喫食状況の撮影画像」によれば、A氏が隊員らからの申告を受けて作成し総務課に提出した「有料喫食申込一覧表」に申し込みのない日に、隊員が「有料喫食」の食事をとっている「可能性」があることが確認されたという。

また、「聞き取り調査」において、「基本的にすべての出勤日に有料喫食を申し込んでおり毎月約20食の申込みをしている」と答えた「隊員A・B・C・D」について、A氏作成の「有料喫食一覧表」の申込数が出勤日より少ない数だったことが確認されたという。

指宿弁護士は、この調査内容が不透明で、信用性も低いと指摘する。

指宿弁護士:「月に20日出勤している隊員が、すべての日に有料喫食の申し込みをし、自衛隊の食堂で有料喫食をしているという前提が間違いだ。

弁当を持ってくる人もいる。自衛隊内にはコンビニもあり、弁当なども売られている。体調が悪くて食べない人もいるし、勤務の都合でお昼ごはんをとれない人もいる。

それを判決はわかっていない。

たとえば、20日出勤した人が10日分しか申し込みしていなかったから『A氏が10日分ズルしたのだ』という認定をしている。

しかも、その認定の根拠とされた各隊員からの答申書は、『隊員A、B、C、D』と名前を伏せて提出されている。国側は隊員の名前を明らかにすることを拒んだ。

この隊員たちへの証人尋問を申請しようにも、名前が分からず、できなかった。

もし隊員の名前を出せず、証人尋問で供述内容の信頼性をチェックすることができないならば、そんな答申書には証拠価値が乏しい」

A氏「一切話を聞いてもらえなかった」

また、A氏は、満足な聴取が行われなかったと指摘した。

A氏:「定年退職という、私が弁明することが難しいタイミングを選んで、懲戒処分が行われたと感じている。

一切こちらの話は聞いてもらえず、一方的な資料でもって『これが正しいんだ』と押し付けられた。証拠を見せてほしいと言っても、見せてもらえなかった」

ごく一般的な感覚として、「詐欺罪または窃盗罪の疑い」をかけられるのは、それだけでも強烈な不利益・不名誉と感じられるだろう。

さらに、その結果として、リタイア後・老後の生活の糧として当てにしていた「退職手当」等を受け取れない「不利益処分」が行われれば、その後の人生を大きく左右する可能性がある。

そのような重大な不利益を与える処分を下す前提として、行政庁が行う調査・立証は、どこまでの公正性・厳密性・透明性が求められるべきなのか。

本件は自衛隊内部で起きたことだが、私たち一般人にとっても決して他人事ではない。

A氏・指宿弁護士は、控訴する意向を示している。二審の高裁がどのような判断を下すことになるのか、注目される。

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