最高裁裁判官の国民審査は“すごく役に立ってきた”…「在外日本人国民審査権訴訟」で“違憲判決”を導いた弁護士が語る「1票の威力」とは
10月27日の衆議院議員総選挙と同時に、最高裁判所の裁判官の「国民審査」が行われる。今回は史上初めて、海外に居住する日本人による国民審査の投票も行われている。
ほんの数年前まで、在外日本人には法律上、国民審査が認められていなかった。2022年(令和4年)5月25日に最高裁が「在外日本人国民審査訴訟」で戦後11例目となる画期的な法令違憲判決を行い、それを受けて国会で法改正がなされたことで、今回初めて、すべての国民が投票権をもつ国民審査が実現した。
しかし、有権者にとっては制度のもつ意義がいまだ十分認識されているとはいえない。また、各裁判官についての判断材料が少ないことも否定できない。
最高裁裁判官の国民審査の制度はなぜ重要なのか。これまでに「役に立った」実績はあるのか。また、私たちはどのような判断材料をもとに投票すればいいのか。上記訴訟の原告側弁護団の一員として、最高裁大法廷で15名の最高裁判事を前に違憲判決を導く決定打とされる弁論を行った、吉田京子弁護士に聞いた。
実はこれまでも「大いに役に立っていた」
国民審査の制度は、裁判官に対する解職投票(リコール)の制度とされている。そして、投票方法は、辞めさせるべきと考える裁判官の名前の上に「×」のみを記入することになっている(【画像】参照)。
その理由は、憲法79条3項が「投票者の多数が裁判官の罷免(ひめん)を可とするときは、その裁判官は、罷免される」と定めていることによる。
現在までに国民審査で罷免された裁判官はおらず、国民の関心も高いとはいえないことから、国民審査の存在意義に疑問を呈する意見もある。「在外日本人国民審査権訴訟」でも、国側は「国民審査という制度は必要不可欠のものではない」と主張していた。
しかし、吉田弁護士は「国民審査は裁判官を罷免するためだけの制度ではなく、これまでも大きな役割を果たしてきた」と指摘する。
吉田弁護士:「国民審査の存在意義として、2つの機能が挙げられます。
第一に、内閣による最高裁裁判官の指名・任命が正しかったかをチェックする機能です。
内閣が法律の素養のまったくないことが明らかな人、たとえば有力政治家の後援会長のような人を恣意的に最高裁の裁判官に指名したら、さすがに国民審査で罷免されるはずです。国民審査の制度があるからこそ、それが抑止力となって、過去に間違った任命・指名が行われてこなかったことは間違いありません。
第二に、裁判官に『一般国民の意識』との乖離に気付いてもらうきっかけになります。罷免されなくても、裁判官は国民審査で何%の人から『×』を付けられたかを気にします。他の裁判官と比べて有意な差がついた場合、他の人との差は何なのか、振り返って考えるきっかけになります。
たとえば、自分の横に座っている人が『5%』で自分が『10%』だったら、その5%の差に、自分がこれまで行ってきた判断に対する国民の評価が表れていると考えられるのです。
最高裁の裁判官は合議体に参加して判決を下すほか、その判決に個別に『補足意見』や『反対意見』を付することができます。国民審査の結果は、それらに対する『通知表』のようなものです。
学校の試験にたとえると、落第はしていないけど80点を取った人と50点を取った人がいたら、50点の人に『次は頑張ろう』と考えてもらうきっかけになり得ます」
国民審査の結果が最高裁を動かし、国会を動かした「実績」
吉田弁護士は、いわゆる「一票の格差」「投票価値の平等」の問題について、国民審査の結果がその後の裁判官の判断に影響を示したと考えられる実例があると指摘する。
吉田弁護士:「昔から訴訟で争われてきている重要なテーマの一つに、国政選挙での『一票の価値』の問題があります。選挙区ごとの議員定数が不均衡となっている結果、有権者1人あたりがもつ投票の価値に不平等が生じているという問題です。
2009年8月30日の国民審査で、直近の定数不均衡の訴訟で『合憲』の判断を示していた涌井紀夫裁判官と那須弘平裁判官に対し、弁護士らで組織された『一人一票実現国民会議』が罷免を呼び掛けるキャンペーンを行いました。
その結果、涌井裁判官と那須裁判官の不信任率が他の裁判官よりも著しく高い結果になりました(【図表1】参照)。
その後、那須裁判官は2009年の参議院選挙に関する判決で『違憲』の判断を行いましたし、2011年以降は最高裁全体としても投票価値の格差問題について厳しい態度で臨むようになりました。
この那須裁判官と最高裁の姿勢の変化、ひいてはそれを受けての国会の定数是正への取り組みに、2009年の国民審査の結果が影響を与えた可能性が考えられます」
選挙で争点になりにくい関心事を「争点化」できる
また、吉田弁護士は、国会議員の選挙にはない国民審査のメリットとして、自分が関心を持っていても選挙で争点になりにくい問題を「争点化」できることを指摘する。
吉田弁護士:「国会議員の選挙は、経済政策、社会福祉政策、外交・防衛政策など、様々な政策を『抱き合わせ』にして判断して投票するものです。
そうすると、どうしても経済政策が重視されやすく、経済政策が自分と親和的な政党に投票しようとなることが多いと思います。
しかし、国民審査の場合は、訴訟の重要なテーマになっている限り、自分の関心のある課題、たとえば『同性婚』や『選択的夫婦別姓』『冤罪と再審』の問題などについて一定の意思を表現できる可能性があるというメリットが考えられます」
投票するための判断材料は“私たち自身の中”にある
では、国民審査において、私たちはどのような基準で投票すればいいのか。
吉田弁護士:「『日本の司法制度は間違っているから全員に×を付ける』という方もいます。しかし、それは戦略的にみると、自分の一票の価値を有効に使えていないような気がします。
先述したように、裁判官は、他の裁判官と比べて『×』の率に差がつくことによって、『自分の判断が国民に受け入れられていないのではないか』と気づくきっかけになります。
したがって、裁判官ごとに差をつけて投票することが有効でしょう。
決して、世の中のいろいろなテーマについてすべて勉強して理解した上で投票しなくてもいいと思うのです。
まず、NHKの特設サイトなど、インターネット上にも非常に充実した参考資料があるので、そういうものをざっと見てください。
そして、自分が興味と関心のあるテーマや大切にしているテーマに着目して、たとえば『選択的夫婦別姓』『同性婚』『冤罪と再審』などについて、誰がどのような判断をしているのか、どのような考え方を持っているのか、チェックしてみることをおすすめします」
家族や友人、職場の同僚などとの会話で話題にして話し合うことも大切だという。
吉田弁護士:「世の中で話題になった事件や自分が関心のあるテーマに関して、最高裁が行った判決の内容や、裁判官が個別に書いた意見の中身などについて話すことによって、自分の考えが深まるし、他の人も同じように興味を持ってくれるかもしれません。
そのようなやりとりを通じて、どういう裁判がいいのか、どういう司法制度がいいのかということが見えてきます。
私たちの生活に関わる重要な問題について考える最初の出発点になるでしょう」
任命されて間もない裁判官を“とりあえず信任する”ことの「効用」
ここで、「任命されて間もない裁判官について、どのように判断すべきか」という問題が生じる。
現行制度では、裁判官の初回の国民審査は、任命直後の衆議院選挙の際に行われることになっている。2回目の国民審査は10年後であり、それまでに今回の審査対象の裁判官の全員が定年退官を迎えるため、事実上、今回が最初で最後の国民審査となる。
そして、6名のうち5名は過去1年以内に任命されており、最高裁裁判官としての実績が少ないか、全く実績がない(【図表2】参照)。
吉田弁護士:「現行制度では、分かる範囲で判断するしかありません。
経歴は分かっているので、最低限、法律的な素養が全くない人を任命してしまっていないかのチェックはできます。
また、『最高裁裁判官としての実績がないのでとりあえず×はつけないでおく』『とりあえず信任する』という行為も、効果を発揮する可能性があります。
たとえば、最高裁裁判官としての実績があるAさんに『×』が多くつき、任命直後のBさんと有意な差がつけば、Aさんにとっては民意とのズレに気付くきっかけになり得ます。
また、Bさんにとっても、国民に寄り添った良い裁判をしようという動機になるでしょう」
どうしても判断できなければ「棄権」の選択肢も
吉田弁護士は、どうしても関心が持てず、判断もできなければ「棄権」する選択も考えられるという。
吉田弁護士:「今のしくみでは、投票会場で自動的に国民投票の投票用紙を手渡されます。
『判断できないから』といって何も記入せずに投票箱に入れたら、棄権ではなく、すべての裁判官に信任票を投じたと扱われます。
しかし、この場合、考えたことと投票結果とがずれてしまっています。それならば棄権するという道があってもいいと考えます。
たとえば、100票のうち『×』が5票、それ以外が95票だとすると不信任率は5%です。
しかし、『×』でない95票のうち50票が『判断できないし信任するつもりもないが、投票用紙を渡されたから何も書かずに投票した』という人の票だった場合、その人が全員『棄権』したら、『×』が5票、それ以外が45票ということになり、不信任率は10%ということになります(【図表3】参照)。
そのほうが、数字の上で民意がより正しく反映されます。したがって、どうしても判断がつかないならば、棄権することも立派な選択肢だと思います。
棄権の方法は投票所によって違いが多少あります。棄権する人のための箱が用意されているところがあります。棄権すると宣言して投票用紙を返すやり方のところもあります」
国民審査と国会議員選挙は「タイヤの両輪」
最後に、吉田弁護士は、最高裁判所裁判官の国民審査と国会議員選挙の関係を「タイヤの両輪」にたとえて、その大切な意義を強調した。
吉田弁護士:「国政選挙で選ばれた国会議員が法律を作り、その法律を裁判所がどういう意味なのか解釈して適用するという関係があります。
最高裁判所は『法律が憲法違反だから無効だ』と判決を下すこともできます。
つまり、国会議員を選ぶだけでは法律は完成せず、裁判所で完成するということです。国会議員だけでなく、最高裁の裁判官も適切な人でなければ、社会はうまくいきません。
民主主義、国民主権原理で大切なのは、結果ではなく、その過程で生まれる『対話』です。
国民審査についても、どんな訴訟が起きているのか、どんな裁判官がいるのかを知り、考え、周りの人と対話する。その輪が広がっていくことが大切だと考えます。
『自分の票は1票だけだから意味がない』ということはありません。自分の考え方を人に話せばその1票が2票になり、その人がまたさらに誰かに話せば 3票になり…という風に広がっていく可能性があります。自分の1票があっという間に100票、200票になりうるのです。私も1000票くらい稼いでいると思います(笑)」
吉田弁護士が原告代理人をつとめた「在外日本人国民審査訴訟」で、国側は「国民審査という制度は必要不可欠のものではない」と主張した。これに対し、吉田弁護士は最高裁大法廷での弁論で、15名の裁判官全員に対し、以下のように語りかけた。
「今ここにいる皆さんは、国民の正式な信任を得ていません。誰一人として、憲法の定める通りの任命手続を経ていません。海外に暮らす人たちが、皆さんの任命について、それが正しかったかどうかについて判断し、意思表示する、国民審査の投票をしていないからです」
(木下 昌彦教授(神戸大学大学院法学研究科)のブログより引用)
続けて吉田弁護士は、国民審査の制度が国民にとっていかに重要な意義をもつか、身近な例も挙げながら語った。その弁論は最高裁の裁判官たちの心を動かし、15人全員一致の画期的な違憲判決を導く原動力になったと評価されている。
国民審査の制度は、憲法に定められている制度であるにもかかわらず、これまで大きな関心を集めることはなかった。また、現行の投票ルールのあり方についての問題点が指摘されることもある。
しかし、吉田弁護士が指摘するように、考えようによっては、私たち国民一人ひとりにとって非常に役に立つツールとなりうる制度かもしれない。10月27日の投票日までにはまだ「考える時間」がある。この制度を有効活用できるかは、私たち自身にかかっている。
- この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいて執筆しております。
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