秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大死刑囚“確定”から7年で死刑執行…なぜこのタイミングなのか?
14年前、東京・秋葉原で7人が殺害された無差別殺傷事件で、死刑が確定していた加藤智大死刑囚(39)の死刑執行が、7月26日、東京拘置所で行われた。
加藤死刑囚は2008年6月、秋葉原の繁華街にトラックで突っ込み、通行人をはね、ナイフで刺すなどして7人を殺害、10人に重軽症を負わせるなどして殺人罪に問われていた。
一審、二審とも死刑判決だったが、弁護側は「犯行当時、責任能力がなかった疑いがある」と上告。結局、最高裁は加藤死刑囚の責任能力を認め、「酌量の余地は見いだせない」として、2015年2月に死刑判決が確定していた。
古川法務大臣の就任後2度目の“執行”
死刑執行日の26日午前11時から、古川禎久法務大臣(当時)は、臨時記者会見を開き、今回の執行の命令書には7月22日に署名したことを明らかにした。死刑執行は、昨年12月に2事件で計3人が執行されて以来、約7か月ぶり。古川法務大臣の就任後では2度目だった。
しかし、死刑が執行された7月26日と言えば、7月8日に安倍晋三元首相が山上徹也容疑者(41)に奈良市内で演説中に銃殺されるという事件が起きた直後のタイミング。死刑執行が報じられると、ネット上では即座に、〈なんか意味ありげなタイミングでの死刑執行だな〉、〈死刑執行はオウムの場合では令和になる前に執行したとか、政治的思惑が推察されるケースが多くある〉、〈タイミング的に教会関連の話題をそらす目的かとおもった〉などと、この時期の突然の執行を訝(いぶか)しむ声があがった。
刑事訴訟法では死刑の確定から執行までは「6か月以内」と定められているが、なぜ確定から7年余りの時間を要したこのタイミングだったのか。
死刑執行に隠された「メッセージ」はあるのか?
「6か月以内という規定には法的拘束力はなく、刑の確定から執行までは通常5〜6年程度、またはそれ以上かかるのが慣例です。法務大臣の思想信条や政治的なしがらみなどの要因に左右されることもあるようですが、毎回、『タイミング』については明らかにされていません」(全国紙記者)
犯罪や刑事事件の対応も多い杉山大介弁護士はこう話す。
「執行命令書を起案するかという時点で刑事記録が法務省刑事局内で精査され、再審事由の有無などを確認します。その上で、執行命令書を決裁する場合も、法務省内で刑事局・矯正局・保護局の各決裁を経て法務大臣に上げられます。上記のように多数の人間が関与して、それを行政の担い手として最終的に法務大臣が決裁する仕組みですので、執行は、法律的に言えば法務大臣によりますし、実質的なところで言えば当然法務大臣のみの判断ではないはずです」
つまり、タイミングについては法務大臣の独断だけでなされるものでもないようなのだ。ならば、そこになんらかの「政治的なメッセージ」は含まれているのだろうか。
「山上容疑者と加藤死刑囚は共に高校時代は進学校出身で、世代も近いことから、安倍元首相殺害事件直後の死刑執行を(今後、こうした事件をまた起こすかもしれない)『ロスジェネ世代へのけん制か?』と書いたメディアもあります。その他にも、『テロは許さないという為政者からのメッセージ』『安倍晋三と旧統一教会との関係に注目させないための目眩し』など、記者の間でもいろいろな意見や臆測が飛び交いましたが、真相は不明です。
また、2018年7月にオウム真理教の元代表松本智津夫死刑囚ら幹部など13人の死刑が執行された際も、翌年4月の新元号(令和)の発表を前に『平成の事件は平成の内にカタをつけるという思惑があるのではないか』などとささやかれましたが、こちらもハッキリしたことは分かりません」(夕刊紙記者)
「死刑を廃止することは適切でない」
磯崎仁彦官房副長官は、26日の閣議後の記者会見で、今回の死刑執行について、「古川法務大臣が法の定めるところに従って適切に判断したものと考えている」と話している。さらに死刑制度については「国民世論に十分配慮しつつ慎重に検討すべきだ。国民世論の多数が、極めて悪質、凶悪な犯罪は死刑もやむをえないと考えており、凶悪犯罪があとを絶たない状況などに鑑みると、著しく重大な凶悪犯罪を行った者に対しては死刑を科することもやむをえず、死刑を廃止することは適切でない」と言明した。
法務省によれば、今回の執行により、全国の拘置所に収容されている死刑囚は106人となったという。
国際的に死刑制度の存廃に関する議論が続く中、その是非はともかく、執行のタイミングについては議論されることはほとんどないのが現実だ。
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