相模原女性遺体遺棄事件で“元交際相手”に「3回目の有罪判決」…“冤罪”を防ぐための「法の仕組み」は“正しく”機能したか?【弁護士解説】

弁護士JP編集部

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相模原女性遺体遺棄事件で“元交際相手”に「3回目の有罪判決」…“冤罪”を防ぐための「法の仕組み」は“正しく”機能したか?【弁護士解説】
東京高裁は差し戻し後の控訴審で「有罪」の判断を下した(ニングル/PIXTA)

2015年に神奈川県相模原市の墓地で女性の遺体が見つかった事件で、殺人罪に問われた元交際相手に対する、今年2月の差し戻し後の裁判員裁判の一審判決(懲役17年)を受けての控訴審の判決が10月31日、東京高等裁判所で言い渡された。高裁は控訴を棄却して一審判決を維持した。

本件については地裁(差し戻し前の第一審)が2019年に「頸部圧迫による窒息」で死亡させたと認定して、懲役17年の判決を下している。しかし翌年、高裁が「睡眠薬による中毒死の可能性が否定できない」として地裁に差し戻していた。当初の第一審、差し戻し後の第一審、そして今回の控訴審と、被告人は3回にわたって有罪と判断されたことになる 。

この経緯は一見、回りくどい処理に見える。なぜ、差し戻し前の高裁は、みずから「有罪」あるいは「無罪」の判決をしなかったのか。その背景には、法が定める「冤罪を防ぐ仕組み」がある。その仕組みの内容と、本件を通じて浮き彫りになった問題点について、刑事弁護の専門家である岡本裕明弁護士(弁護士法人ダーウィン法律事務所代表)に聞いた。

高裁が裁判を一審に差し戻した「理由」とは

当初の第一審(以下「旧一審」)では、検察は「睡眠薬で眠らせたうえで、頸部を圧迫して死亡させた」と主張した。つまり、被害者の死亡の結果をもたらした行為はあくまでも「頸部を圧迫して死亡させた」こととされ、「睡眠薬で眠らせた」ことはその準備段階の行為とされた。

しかし、その後の控訴審(以下「旧控訴審」)では、別の医師の鑑定結果も考慮したうえで、「頸部を圧迫する行為」と死亡との関連性について「合理的な疑い」があるとした。そして、被害者の死因が睡眠薬中毒によるものである可能性があるとし、差し戻した。

一般的な感覚からすれば、高裁がみずから、端的に「有罪」または「無罪」の判決を下してもよかったのではないかとも考えられるだろう。なぜ、そうしなかったのか。

岡本弁護士は、被告人、ひいては国民の「裁判を受ける権利」を保障しなければならないからだと指摘する。

岡本裕明弁護士(弁護士法人ダーウィン法律事務所提供)

岡本弁護士: 「旧一審では、検察側の主張立証も、被告人側の防御活動も『頸部を圧迫して死亡させたか否か』にフォーカスして行われました。

とりわけ、本件は裁判員裁判であり、法律の素人の裁判員のために、争点と証拠を整理して絞り込む「公判前整理手続」が行われています( 刑事訴訟法 316条の2、 裁判員法 49条参照)。

つまり、裁判所の関与の下で、事前に争点が『頸部を圧迫して死亡させたか否か』に絞られていたので、それ以外の点については吟味が十分だったとはいえません。この状況で、もし高裁が『被害者の死因は薬物中毒だ』と認定して被告人を有罪としたら、被告人にとって『不意打ち』になります。

本件では、被害者の遺体から大量の睡眠薬が検出されており、死亡の直前になんらかの形で薬物が被害者の体内に入ったことはわかります。しかし、被害者が睡眠薬を服用した経緯については、自発的に服用したのか、それとも被告人が無理やり飲ませたのか、法廷において十分に攻撃防御を尽くさせる必要があります。

わが国では、冤罪等の裁判の誤りを防ぐため、地裁・高裁・最高裁と3段階で裁判を受ける権利が保障されています(三審制)。本件の旧一審では、被告人が『頸部を圧迫して死亡させたか否か』に絞って審理が行われており、被告人が薬物を摂取させ中毒死させた可能性について、関連する事実・証拠の吟味が不十分なケースだったといえます。

もし、旧控訴審で高裁がみずから判断を下したら、被告人は、被告人が『薬物を摂取させ中毒死させた』という容疑について、旧一審(地裁)の段階で反論することができていません。これでは3段階の裁判を受ける権利を侵害してしまいます。だからこそ、地裁に差し戻したのです」

特に、本件では、被害者の遺体が発見されたのが行為から2年後であり、遺体は白骨化していたとみられる。したがって、『頸部圧迫により死亡したこと』を遺体の状況から確実に判断するのが困難だったと考えられる。

つまり、被害者の死因が睡眠薬中毒である可能性が考えられ、そこに被告人が関与していたかどうかの吟味がとりわけ重要になる事案だったといえる。

差し戻し審で検察が「訴因変更」を行った理由

差し戻し後の一審(地裁)では、検察は起訴内容を「被害者に薬物を服用させ、薬物中毒または頸部の圧迫による窒息により死亡させた」と変更し、地裁もそれを認めて上記有罪判決を下した。

起訴内容を変更することを「訴因変更」という。訴因変更とはどのような制度か。なぜ、本件で訴因変更が必要だったのか。

岡本弁護士はまず、「訴因」の制度について、争点を特定・明示し、被告人側に防御活動を十分に尽くさせ、それによって冤罪を防ぐ機能をもつと説明する。

岡本弁護士: 「『訴因』とは、検察官が、被告人の行為を特定の犯罪の構成要件にあてはめて法律的に構成し、主張するものです。

刑事裁判では、検察側と被告人側がこの訴因をめぐって攻撃防御を行います。訴因にあらわれた事実が証拠によって認定されれば有罪、認定されなければ無罪となります。

もし、訴因が不特定だったり不明確だったりすると、冤罪のおそれが大きくなります。なぜなら、被告人が何に対して防御活動を行えばいいのか、ハッキリしなくなるからです。

したがって、検察官は、訴因をできる限り特定し、明示しなければならないのです(刑事訴訟法256条3項参照)。

当初、旧一審・控訴審で検察が主張していた『被害者に薬物を服用させ意識を失わせ、頸部の圧迫により窒息させた』という訴因では、あくまでも、被害者の死因は『頸部の圧迫による窒息』です。『薬物を服用させたこと』は前提となる行為にすぎません。

本件では、被害者が、頸部圧迫ではなく薬物中毒により死亡した可能性があるというならば、その旨を訴因に明示しなければなりません。したがって、訴因を『被害者に薬物を服用させ、薬物中毒または頸部の圧迫による窒息により死亡させた』というものに変更する必要があったのです(【図表】参照)。

なお、訴因の設定方法については『薬物中毒または頸部圧迫』という『択一的訴因』の記載が認められています(刑事訴訟法256条5項参照)」

【図表】本件での訴因変更

訴因変更が許容されるための「基準」とは

岡本弁護士は、訴因変更は「なんでも認められるわけではない」と説明する。その理由として、「被告人に不利にはたらく面があるから」ということを挙げる。

岡本弁護士: 「訴因を特定すること自体は、被告人の防御のためといえます。そして、もともとの訴因と異なる事実が証拠から浮かび上がってきた場合に、裁判所が勝手にその事実を認定していいとなれば、そもそも訴因を設定する意味がありません。

したがって、新たな審理対象を定めるという意味で、やむを得ないこととして『訴因変更』の制度がおかれています。

とはいえ、訴因についての立証ができていない以上、本来は無罪判決が宣告されるべきなので、訴因変更は『別の事実で有罪判決を宣告するための制度』ともいえます。

その意味で、被告人に不利な制度という側面があります。

たとえば、極端な例ですが『Aさん宅への窃盗』の訴因から『Bさんに対する傷害』の訴因に変更するのは、被告人の防御の不利益があまりに大きすぎます。

だからこそ、訴因変更が認められる範囲に制限が設けられているのです」

では、訴因変更は、どのような基準をみたせば認められるのか。

岡本弁護士: 「訴因変更は『公訴事実の同一性』の範囲に限り認められます(刑事訴訟法312条1項参照)。

『公訴事実の同一性』の解釈についてはさまざまな学説がありますが、判例・実務上は、両訴因の事実が『両立しない場合』を意味すると考えられています。『A訴因が成り立たないならば、B訴因が成り立つ』という密接な関係がある場合です。

本件では、『睡眠薬で眠らせ、頸部圧迫により死亡させた』ことと、『睡眠薬を服用させ、薬物中毒または頸部の圧迫による窒息により死亡させた』ことは、事実として両立しません。

したがって、『公訴事実の同一性』をみたすので、訴因変更が認められます」

検察官・裁判所が“失策”を犯せば「被告人の防御の利益」が形骸化する危険性も

最後に、岡本弁護士は、裁判員裁判における「公判前整理手続」の機能ないしは「訴因」の機能が形骸化するリスクについて懸念を示した。

岡本弁護士: 「本件訴訟については、前述したように、法律の素人である裁判員が参加するので、旧一審の審理前に裁判所が関与する『公判前整理手続』が行われました。

それが事実上、無駄になってしまったのは、有限な司法サービスの浪費という観点からも、被告人の防御の利益という観点からも、大きな問題です。

私は直接証拠を見ることができないので、有罪判決が正しいかどうかを論じることはしません。しかし、『公判前整理手続』によって『頸部圧迫により死亡させた』ことが訴因となった以上、旧控訴審が『薬物中毒によって被害者の方が亡くなった可能性が否定できない』と判断したのであれば、単に旧控訴審において無罪判決を宣告すべきだったようにも考えられます。

たしかに、被告人が、危険な薬物を摂取させることによって被害者を死亡させたのであれば、旧控訴審が無罪判決を宣告した場合、検察官が訴因の設定を誤ったせいで、犯人に対する刑罰を科すことができなくなってしまいます。

しかし、裁判で審理対象となっている訴因に対して適切な防御が行われ、有罪判決を宣告することはできないと認定されたにもかかわらず、『訴因を変更すれば有罪判決を下すことができる』として裁判をやり直すことが無制限に許容されるのであれば、被告人の防御のために訴因の制度が設けられている意味がありません。

裁判所も検察も、訴因制度の機能と重要性を、これまで以上に意識し、争点の整理を慎重かつ的確に行うことが求められます」

昨今、「冤罪」「違法捜査」などが次々と明るみになり、捜査機関・刑事司法制度への信頼が揺らいでいる。刑事裁判の大原則とされる言葉の一つに「十人の真犯人を逃すとも 一人の無辜(むこ(※))を罰するなかれ」というものがある。刑事訴訟法が被告人の利益を守るために設けている諸々の手続きは、冤罪を防ぐためのシステムとして厳格に守られなければならない。本件は、そのことを改めて認識させるものだといえる。

※無辜:罪のない人

取材協力弁護士

岡本 裕明 弁護士
岡本 裕明 弁護士

所属: 弁護士法人ダーウィン法律事務所

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