北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさん一家を追い詰めた “誘拐犯”からの電話、その正体は…?
中学1年生で行方不明となり、後に北朝鮮に拉致されたことがわかった横田めぐみさんは、今年10月に60歳の誕生日を迎えた。
北朝鮮が日本人の拉致を認め謝罪してから、すでに22年が経過。政府はすべての拉致被害者について〈必ず取り戻す〉としているが、めぐみさんをはじめとする被害者12名(※)は、いまだ帰国を果たせていない。
本連載では、毎年12月10日から始まる「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」を前に、拉致被害者の家族の思いに触れ、拉致問題の現状を改めて考える。今回は、めぐみさんの行方不明の“原因”すらまだわかっていなかった頃に発生したある事件を、母・早紀江さんが回想する。(第2回/全6回)
※ 日本政府が北朝鮮による拉致を認定した人のうち安否がわからない人数。拉致された可能性を排除できない行方不明者は12名以外にも存在している。
※ この記事は横田めぐみさんの母・早紀江さんが綴った『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社文庫、2011年)より一部抜粋・構成。
悲しみに追い打ちをかける酷い事件
めぐみの失踪から2カ月余り経った昭和53(1978)年の1月のことでした。私たちの悲しみに追い討ちをかける酷い事件が起きました。
その日のお昼少し前、11時過ぎだったと思いますが、「横田めぐみさんのうちですか」と言って電話がかかってきました。「はい、そうです」と答えると、「めぐみさんは僕が預かっている」と言うので、私はびっくりして、足がガタガタ震えだしました。
めぐみはこの男に誘拐されていたのか。男の言葉を聞いた瞬間、私は驚くとともに、これで、ようやく娘の居所が分かるのだという希望が涌いてきました。
その頃には電話の録音装置もはずされ、警察の方はうちから引き揚げていましたが、家には風邪をひいて学校を休んでいた次男がいました。私は電話の男に向かって「ちょっと、お待ちください」と言ってから、次男を手招きして、「犯人から電話。ケイサツに連絡タノム。トナリのおばあちゃまに渡して」とメモに書いて渡しました。
次男は熱があって寒かったのでしょう。パジャマの上に何か着ようとしていたのですが、私は「早く行きなさい」と目くばせして、息子を急がせました。それでも気配で分かったのか、「そこに誰かいるな」と電話の男が言うので、「小さな子どもが病気で、学校を休んで寝ているんです」と言いました。「小さな子」だと何度も強調すると、男は「そうか」と言って納得したようでした。
次男の知らせで110番通報をしてくださったおばあちゃまが、そっと家に入って来られました。めぐみと仲良しだったお嬢さんのお母さんが、事件のあとよく家を訪ねてきてくださったのですが、その方もたまたまその日に来てくださり、2人は私のそばに座って、ずっと話のやりとりを聞いていてくださいました。
主人は勤めに出ていましたから、お隣のおばあちゃまとそのお母さんが一緒にいてくださったことは、私にとってどんなに心強かったかしれません。
「めぐみのことが本当に好きなら、お嫁さんにあげるから」
まもなく警察の方が逆探知の器械を持って入ってくると、静かに録音装置を取り付けました。
警察の方はしきりに「会話を延ばすように。頑張れ、頑張れ」というサインを送ってきました。
逆探知に時間がかかることはすでに警察の方から聞いていて、もしも誘拐犯から電話がかかってきたら、どんなふうに話を引き延ばすかを教わっていました。たとえば身代金受け渡しの場所がよく分からないと言って、相手に詳しく説明させるように、とのことでした。
しかし、男はまだ身代金を出せとは言いません。私は必死で言葉を探しました。
「あなたは、おいくつぐらいなんですか」
「年齢なんか、どうでもいい!」
怒鳴り声でそう言われると、恐ろしさと緊張で声がうわずってきましたが、私は何とか震えを抑えて男に話しかけました。めぐみはどこにいるのかと尋ね、めぐみの特徴を聞きました。男はそれに対して、新潟の駅前でめぐみと出会ったとか、めぐみを蕎麦屋で働かせているとか、かなり具体的に答えました。
刑事さんのほうを見ると、なおも「引き延ばすように」とのサインでした。
「あなたは、まだお若い方だと思いますけれど……何でそんなに若い身で、警察に追われるようなことをなさるんですか」
「人間はおおっぴらに生きられるほうがいいでしょう。めぐみのことが本当に好きなら、お嫁さんにあげるから、みんなで一緒に仲良く暮らしませんか」
私がそんなことを言うと、男はだんだんとしんみりしてきたようで、声も少し穏やかになり、こちらの質問にも答えるようになりました。しまいに、今夜9時に、500万と言ったか800万と言ったか、よく覚えていないのですが、それだけの身代金を用意して近くの日和山(ひよりやま)海岸に1人で持って来いと言いました。
私は、何とかお金の都合をつけて、必ず行きますと約束しました。
電話がかかってきてから、1時間ほど経っていました。1時間というのはあとで分かったことで、私はそれほど時間が過ぎたとは思いませんでした。
犯人は高校生……誘拐については完全に「シロ」
その間、警察では男が電話していた自宅のマンションを突き止め、幸いドアが開いていたので部屋に踏み込んで、男が受話器を置こうとした瞬間に現行犯逮捕することができました。電話の周りにはめぐみの事件を報じた新聞記事がひろげてあって、男はそれを見ながら話をしていたとのことでした。
逮捕の知らせを受け、刑事さんから「よくやったね」と言われたとき、私はグターッと力が抜けてしまいました。その一方で私は、あとはこの犯人から、めぐみの居場所を聞き出すだけだと、ホッとするような思いもありました。
犯人は高校生でした。私は声の感じから26、7歳か、あるいはもっと年上の男性だと想像していたので、意外でした。事件の報道を読んで、いたずらをしてやろうと思い、誘拐犯を装って脅迫電話をかけたと自白したそうです。
けれども、その高校生は電話の中で、具体的にお蕎麦屋さんの名前をあげて、そこでめぐみを働かせているとまで言ったのです。実際にそういう名前のお蕎麦屋さんがあるとのことで、うちにいた刑事さんがすぐに中央警察署に連絡をとって調べてくださり、結局そんな事実はないと判明したのですが、それでも私は釈然とせず、その高校生とめぐみの失踪とは何かつながりがあるかもしれないから、徹底的に調べてくださいとお願いしました。
警察のほうでも、1週間か10日間、高校生を勾留して厳しく取り調べたようですが、やはり誘拐については完全に「シロ」でしたと連絡がありました。「もしかしたら」という思いが強かっただけに、私は警察からの知らせを聞いて心底打ちのめされ、ポロポロと泣きました。
犯人の高校生は1人っ子で、両親が共働きということもあって、いつも1人ぼっちで寂しかったのでしょうか、あとで刑事さんから、「みんなで一緒に仲良く暮らしませんか」なんてことは、今まで言われたことがなかったと言って涙を見せ、しんみりしていたと聞きました。しかしその後、その高校生や親が謝りに来ることも、謝罪の手紙を寄越すこともありませんでした。
- この記事は、書籍発刊時点の情報や法律に基づいて執筆しております。
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