「お嬢さんが北朝鮮で生きている」横田めぐみさん宅にかかってきた“拉致問題”を動かす政治家秘書からの“一本の電話”

弁護士JP編集部

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「お嬢さんが北朝鮮で生きている」横田めぐみさん宅にかかってきた“拉致問題”を動かす政治家秘書からの“一本の電話”
「北朝鮮による拉致の疑い」自体は1988年の時点で国会に取り上げられていたが…(ibamoto/ PIXTA)

中学1年生で行方不明となり、後に北朝鮮に拉致されたことがわかった横田めぐみさんは、今年10月に60歳の誕生日を迎えた。

北朝鮮が日本人の拉致を認め謝罪してから、すでに22年が経過。政府はすべての拉致被害者について〈必ず取り戻す〉としているが、めぐみさんをはじめとする被害者12名(※)は、いまだ帰国を果たせていない。

本連載では、毎年12月10日から行われている「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」を機に、拉致被害者の家族の思いに触れ、拉致問題の現状を改めて考える。今回は、めぐみさんの父・滋さんのもとにかかってきた一本の電話から、めぐみさん失踪に北朝鮮が関与していた可能性が徐々に明らかになっていく様子を回想する。(第5回/全6回)

※ 日本政府が北朝鮮による拉致を認定した人のうち安否がわからない人数。拉致された可能性を排除できない行方不明者は12名以外にも存在している。

※ この記事は横田めぐみさんの母・早紀江さんが綴った『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社文庫、2011年)より一部抜粋・構成。

「お嬢さんは北朝鮮で生きています」

平成9(1997)年1月21日のことでした。祈りの会に出かけ、夕方6時頃に帰宅した私の顔を見ると、主人が怪訝そうな面持ちで「今日、変なことがあったんだよ」と言いました。定年退職後のことで、主人はその日、家にいました。

主人は、ちょっと口ごもる感じで、私が「何があったの」と聞いても、はっきり答えてくれません。

「何か、おかしな話なんだよ」
「何、何、早く言ってよ」
「うーん……それがね……」

主人のふだんとは違う態度に、私は「あっ」と思い当たって聞きました。

「ひょっとして、めぐみちゃんのこと?」

主人は「そうなんだよ」と言い、奇妙な、そして驚くような話をしてくれました。その日、まもなくお昼というときに、日本銀行のOB会である「旧友会」から電話があって、参議院議員の橋本敦さん(共産党)の秘書をしている兵本達吉さんに電話を入れてほしいと連絡があったそうです。

「旧友会」でも詳しいことは分からず、主人はわけの分からぬまま、すぐに兵本さんに電話をかけました。電話に出た兵本さんは、「お宅のお嬢さんが北朝鮮で生きているという情報が入りました」とおっしゃったので、主人は本当にびっくりしたそうです。

「私はずっと北朝鮮による拉致事件について調べています。お宅のお嬢さんのことは初めて知ったので、いなくなったときの状況などを教えてください」

電話では詳しい話ができないので、議員会館に来ていただけませんか、という兵本さんの言葉に、主人は「すぐに伺います」と言って、議員会館に急ぎました。議員会館に向かう電車の中で主人は、初めて出てきた情報らしい情報だけれども、めぐみが北朝鮮にいるというのは本当なのか、本当だとしたら、どうやって連れて帰るのか、この二つのことに思いを巡らせて、気持ちが落ち着かなかったと言いました。

1988年の時点で“北朝鮮”の関与が疑われていた…

兵本さんは『現代コリア』という雑誌(平成8年10月号)と、めぐみの行方不明を報じた20年前の『新潟日報』のコピーを用意して待っておられたとのことです。

あとで分かったことですが、橋本議員は昭和63(1988)年3月26日に開かれた参議院予算委員会で、昭和53(1978)年の夏に起きた3件のアベックの方々の謎の失踪事件について質問されたとのことでした。のちに主人は、このときの「議事録」(第112回国会・参議院予算委員会会議録第15号)を手に入れましたが、橋本議員の質問に対して答えた中に、当時、国家公安委員長をしていた梶山静六さんたちもおられ、梶山さんはそれらの事件について、こんなふうにおっしゃっています。

〈昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性にかんがみ、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、御家族の皆さん方に深い御同情を申し上げる次第であります。〉

また、このときの外務大臣は、亡くなった宇野宗佑さんでしたが、こんなふうに答えておられます。

〈ただいま国家公安委員長(梶山静六氏)が申されたような気持ち、全く同じでございます。もし、この近代国家、我々の主権が侵されておったという問題は先ほど申し上げましたけれども、このような今平和な世界において全くもって許しがたい人道上の問題がかりそめにも行われておるということに対しましては、むしろ強い憤りを覚えております。〉

長々と引用するのですが、もう一人、警察庁の警備局長をされていた城内康光さんという方は、「一連の事件につきましては北朝鮮による拉致の疑いが持たれるところでありまして、既にそういった観点から捜査を行っておるわけであります」と答えておられます。

昭和55(1980)年1月の『サンケイ新聞』を見て、私が直感したように、めぐみは、この3組のアベックの方々と同じように拉致されたことが、このとき初めて分かったのですが、少なくともアベックの方々の事件については、10年も前に国会で取り上げられ、北朝鮮の名前が出ていることに、私も主人も驚いてしまいました。

今さら嘆いても詮ないことですし、難しい捜査だということも分かるのですが、もう少し早く事件が解明されていたら、と思わずにはいられません。

韓国の国家安全企画部幹部による“証言”

1月21日のことに話を戻します。

主人が兵本さんに伺ったところによると、この日、知り合いの方から兵本さんのもとに、「ご一読ください。拉致された女子中学生は、横田めぐみさんでした」とコメント付きで、『現代コリア』と『新潟日報』の記事のファックスが送られてきたのだそうです。兵本さんは、『新潟日報』の記事から主人が日本銀行に勤めていたことを知り、「旧友会」を通じて主人と連絡をとってくださったのでした。

『新潟日報』は、うちにもありますから見なくても分かるのですが、『現代コリア』は、主人が初めて目にする雑誌でした。そこには、大阪「朝日放送」のプロデューサーをされていた石高健次さんの「私が『金正日の拉致指令』(朝日新聞社刊。平成10年に「朝日文庫」として増補版が出版される)を書いた理由」と題された一文が載っていて、兵本さんは主人に、これを読んでくださいとおっしゃったそうです。

主人は私に、その『現代コリア』の記事のコピーを見せてくれました。石高さんは、北朝鮮による日本人拉致事件を取材してテレビのドキュメンタリー番組をつくり、それをもとに『金正日の拉致指令』という本を書かれたのだそうですが、平成7(1995)年、取材の中で韓国の国家安全企画部(韓国の情報部)という部署の幹部の方から、こんな話を聞いたと言って、それを『現代コリア』誌に書いておられたのでした。

国家安全企画部の幹部の方の話を裏付けるだけの情報がなく、本(『金正日の拉致指令』)には載せなかった事件があると前置きして、石高さんはつぎのように紹介しておられました。

〈これを読んで何らかの情報があれば是非お知らせ願いたいとの気持ちからここに紹介するが、この「(拉致)事件」は、極めて凄惨で残酷なものだ。

被害者が子供なのである。

その事実は、94年暮れ、韓国に亡命したひとりの北朝鮮工作員によってもたらされた。

それによると、日本の海岸からアベックが相次いで拉致される1年か2年前、おそらく76年(事実は77年)のことだったという。13歳の少女がやはり日本の海岸から北朝鮮へ拉致された。どこの海岸かはその工作員は知らなかった。少女は学校のクラブ活動だったバドミントンの練習を終えて、帰宅の途中だった。海岸からまさに脱出しようとしていた北朝鮮工作員が、この少女に目撃されたために捕まえて連れて帰ったのだという。

少女は賢い子で、一生懸命勉強した。「朝鮮語を習得するとお母さんのところへ帰してやる」といわれたからだった。そして18になった頃、それがかなわぬこととわかり、少女は精神に破綻をきたしてしまった。病院に収容されていたときに、件の工作員がその事実を知ったのだった。少女は双子の妹だという。〉

「13歳」「バドミントンの練習の帰り」めぐみさんとの符合

主人はこの記事を読んだ瞬間に、これは確実に、めぐみのことだろうと思ったそうです。「13歳」とか「クラブ活動のバドミントンの練習の帰り」というのは、めぐみにピッタリです。「少女は双子の妹」ではなく「少女には双子の弟がいる」が本当ですが、私たちに双子の子どもがいるというのは事実で、それを知っている人は限られています。

あとで石高さんから伺ったのですが、「日本から拉致された13歳の少女」の件は、取り調べた工作員から情報を得た複数の国家安全企画部の幹部の方から聞いたとのことでした。ですから、話が伝わる中で、「双子の弟がいる」が「私は双子の妹」に変わったのかもしれません。

主人は直感的にめぐみだと思う反面、しかしこれだけなら、めぐみの失踪当時の新聞記事から、ある程度の話をつくれるだろう、とも思ったそうです。実際、事件後まもなく私のところに脅迫電話をかけてきた高校生は、新聞やテレビの公開捜査を参考にして誘拐犯を装い、そして私は高校生の言うことを信じたのですから。

これが、もしも、親しか知らないようなこと、たとえば家族旅行に行った土地や、その日付などの情報があれば、めぐみに間違いないと言えるのですが、そこまでは断定できず、不思議なことがあるものだと思って、主人は帰ってきたのでした。

私は主人の話を聞くと、胸がどきどきし、背中がぞくぞくしてきました。「うわぁー、生きていたのねえー。よかったわねえ」と、最初は喜んだのですが、だんだんと興奮が冷めてくると、不思議なことだらけでした。20年も経ってから、そんなことが分かるなんてことがあるのかしら。なぜ、めぐみは北朝鮮に連れて行かれなくてはならなかったのだろう。半信半疑のまま、私の頭の中は混乱してきました。

主人も私も、それまでさまざまな可能性に期待をかけながら、そのつど失望してきましたから、石高さんの話もそれっきりで終わるのか、それともどういうふうに展開してゆくのだろうかと思っていました。けれども、今回は、石高さんの一文がきっかけとなって事態は大きく動きだし、ついには、めぐみが北朝鮮にいることを決定的に証言する人が現れたのでした。

  • この記事は、書籍発刊時点の情報や法律に基づいて執筆しております。
書籍画像

めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる(草思社文庫 よ 1-1)

横田早紀江(著)
草思社

1977年、新潟でバドミントン部の練習を終えて帰宅途中の 13歳の少女横田めぐみさんが忽然と姿を消した。事故か家出か。
大規模な捜索も空しく、生死不明のまま20年が過ぎた。
97年、両親のもとに驚くべき知らせが届いた。
めぐみさんは北朝鮮の工作員に拉致され、ピョンヤンにいると――。
消息が浮上するまでの辛苦の日々を綴り、恐るべき国家犯罪を世に知らしめた慟哭の手記。

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