袴田さん再審無罪は「2024年を“象徴”する判決」 証拠のねつ造、えん罪…捜査機関の“無謬神話”崩れた1年
2024年もさまざまな事件や事故の裁判が行われ、多くの判決が下された。立法、行政と並ぶ国家権力である「司法」の判断は、社会に大きな影響を与えるとともに関係者の人生を左右する。
刑事事件を多く担当する杉山大介弁護士は、今年を象徴する判決について「袴田事件再審無罪判決(9月26日 静岡地裁)以外ない」と断言し、「刑事司法制度のあり方について改めて考える時が来ている」と語った。
袴田事件とは――事件の経緯と判決の確定
もはや説明不要かもしれないが、事件や一連の裁判について簡単に振り返る。
1966年に静岡県で一家4人殺害事件が発生し、当時プロボクサーだった袴田巌さんが犯人として逮捕・起訴された。袴田さんは裁判で一貫して無実を主張していたが、取り調べ時の自白の供述調書や犯行時の着衣とされた血痕がついた衣類などが証拠として採用され、1968年に死刑判決を受けた。
その後、袴田さんの弁護団が1981年に第1次再審請求を申し立てるも、2008年に最高裁が棄却。同年、第2次再審請求が提起され、2014年に一度再審が決定した。この時に死刑および拘置の執行が停止され、袴田さんは釈放された。しかし、検察側の特別抗告やそれを支持した東京高裁の決定などにより、実際に再審公判が開始されたのは2023年になってからだった。
そして今年9月、再審公判の判決で静岡地裁は袴田さんに無罪を言い渡し、過去の裁判の証拠にはねつ造があったと踏み込んだ。
具体的には、過去の裁判で死刑判決の決め手とされた衣類について「捜査機関が有罪を決定づけるためにねつ造に及んだことが現実的に想定できる」と言及。さらに、取り調べ時の自白についても、「(袴田さんを)犯人と決めつける取り調べを繰り返し行っていた」と指摘し、「警察官と検察官の連携により肉体的・精神的な苦痛を与えて供述(自白)を強制する非人道的な取り調べによって作成されたものと認められる」と判断した。
検察は控訴を断念し、静岡地裁の無罪判決が確定した。
無罪判決まで58年の歳月「強く恥じるべき」
袴田さんが逮捕されてから再審無罪判決を受けるまで、58年。杉山弁護士は、これだけの時間を要したことに「日本社会は強く恥じるべき」と語調を強める。
「袴田氏がえん罪ではないかという話は、もうかれこれ20年以上も指摘されてきました。今回ねつ造と認定された証拠のおかしさについても、ずっと言われてきたことです。辛うじて生きている間に無罪判決が出ましたが、袴田さんの人生も人格も回復できない被害を受けています。このあまりに遅すぎる事実の訂正は、マスコミによる事件報道なども含め、刑事事件に対する意識を改めるべきだと示したといえるでしょう」
これまでも再審無罪判決が出た例はあり、その度ごとに刑事司法制度の在り方は問われてきた。しかしその中でも、今回の判決は特筆すべき点があると杉山弁護士は続ける。
「判決の中で、検察官の供述調書すら『実質的にねつ造したもの』と指摘されたことです。被告人が述べていることを正しく聴取しようという最低限の姿勢すらない捜査が行われたことが、判決によって指摘されたのは非常に大きいことだと思います。本来、捜査も取り調べも人間が行っているものですから、ねつ造のような不正な人間の関与というのも、たとえ検察官や警察官であろうが起きてしまうのは当たり前のことです。それを『ある』と認めたことに、刑事司法の進歩を感じました」
個人も持つべき「推定無罪」の意識
一方で杉山弁護士は、袴田さんの再審無罪判決が今後の刑事司法制度に変化をもたらすのかについて、懐疑的に見ているという。
「捜査機関の誤りが指摘されたのは今回が初めてではありません。しかし、人質司法と言われる実務などは、大きくは変わらずに来ています。『たまに起きてしまうミスであって、ほかは真っ当なのだ』という捜査機関の意識も、変わらず存在しているように思います」(杉山弁護士)
その上で、えん罪を防ぐには、“事件とは関係のない”人、つまりわれわれの意識も変えていく必要性があると杉山弁護士は指摘する。
「まず事件報道に対して、警戒感を持ってほしいと思います。報道機関の多くは、警察や検察が流した情報を何ら裏取りや確認をせず垂れ流しています。自己取材を重ねる週刊誌の方がまだマシなくらいで、捜査機関からオフィシャルに、あるいはこっそりと渡された情報を報道し、その後事実の誤りがわかっても報道機関は何も責任をとりません。
そして、袴田事件のように『犯人ではなかった』というわかりやすいえん罪とは別に、法律的にみると犯罪には当たらないという無罪も存在します。たとえば、酷いことをしたとしても、ここまで重い犯罪が適用されて罰せられる理由はないという場合も、えん罪に当たります。ですから、えん罪を防ぐために被告人の反論に対しては怒らないでほしいと思います。被告人の主張を封じられては、事実が正しく守られません。被害者とされている人が怒るのは当然ですが、世間が怒って良いのは、十分な反論が行われてなお、その反論が裁判で排斥され、うそだと確定してからではないでしょうか」
袴田さんの無罪判決が確定した後、地元紙の静岡新聞や全国紙の一部は〈(逮捕)当時の報道は人権侵害だった〉として謝罪文を掲載した。時代は変わり、インターネットを利用すれば誰でも情報を発信できるようになった現在。えん罪を生まないためには、一人ひとりが「推定無罪」の考え方を持って報道を受け止め、発信する責任があると言えるだろう。
捜査機関の“無謬神話”「崩れた1年」
今年8月、大阪高裁は、被告人に不当な取り調べを行ったとして元特捜検事に対し「特別公務員暴行陵虐罪」で審判に付す決定を出した。また、今年10月に出された「福井中3女子殺害事件」の再審決定(10月23日 名古屋高裁金沢支部)の中でも、当時の取り調べ・裁判において、検察官が証拠を隠すことでうその証言を無理やり通そうとした事実が裁判所によって指摘され、「検察官としてあるまじき、不誠実で罪深い不正の所為と言わざるを得ず、到底容認することはできない」と批判された。
杉山弁護士は今年を振り返り、「警察にも検察にも、法を守らず、平然と事実をねつ造する人間が混ざっていることが前提に置かれ、捜査機関の無謬(むびゅう)神話が、法制度の中でもオフィシャルな形で崩れていった1年だったと思います」と締めくくった。
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