JT社員“うつで休職”後に就労可能と診断も「復職」認められず自動退職に 地位の確認求め会社を提訴

弁護士JP編集部

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JT社員“うつで休職”後に就労可能と診断も「復職」認められず自動退職に 地位の確認求め会社を提訴
会見に出席した岩本拓也弁護士(1月9日都内/弁護士JP編集部)

精神疾患を発症し、休職した会社員のAさんが1月9日、症状の回復後も職場から復職が認められず、退職となったのは不当だとして、勤務先のJT(日本たばこ産業株式会社)に対し、未払い賃金約398万円の支払いや地位の確認を求め、東京地裁に提訴した。

同日、Aさんや代理人、労働組合の担当者が都内で会見を開いた。

「無能は会社にいらない」発言などで抑うつ状態に

訴状などによると、原告のAさんは、2018年4月JTに入社。営業職として高松支店に配属された。

Aさんは、高松支店の新人育成担当者とのやり取りで、質問にまともに答えてもらえないなど、精神的に追い込まれ、抑うつ状態になり、2019年3月末から休職。

休職と同時に線維筋痛症に罹患(りかん)し、アスペルガー症候群との診断も受けたという。

原告はその後2021年2月に一度復職し、2022年4月には東京支店へ異動。人事労務チームの配属となった。

しかし、人事労務チーム配属後、上司から「あなたみたいな無能は会社にいらない」「あなたを評価するつもりはない」といった、人格否定の発言を受けるようになったという。

また、産業医との面談でも「(Aさんの家族のなかで)あなただけ、頭がおかしいんだね」といった心無い発言が相次ぎ、Aさんは再度抑うつ状態を発症。

2022年7月から休職し、2023年1月に主治医が就労可能と診断したことから、同月、JTに復職を申し入れていた。

6回復職を申し出も、JT側は認めず「障害特性と業務のマッチングに問題」

しかし、Aさん側の説明によると、JTは合理的な説明をすることなく、休職の原因となった事由は消滅していないとして、就労不可との結果を出し続けたという。

Aさんの申し入れ後、JTは2023年2月以降、6回にわたり、復職審査委員会を開催。復職審査委員会では、いずれも就労不可との判断が出され、その結果、Aさんは休職期間が満了となり、2024年10月24日の第6回審査委員会で自動退職を告げられた。

JT側は就労不可と判断した理由として、アスペルガー症候群の障害特性と、職場とのマッチングに問題があることや、周囲の同僚や上司への負荷が懸念されることなどを理由にあげたという。

「きちんとAさんを復職させる必要があった」

この間、Aさんは2024年8月に、労働組合の日本労働評議会に加盟。同年9月から10月にかけて4度の団体交渉を実施するも決裂し、訴訟に至った。

原告代理人の岩本拓也弁護士は本件訴訟について次のように解説する。

「本件の一番の争点となるのは、休職期間満了による退職扱いの有効性です。

Aさんが休職するに至った理由は、抑うつ状態の症状であり、復職審査では症状が治ったかどうかが、1番問題になるはずです。

それにもかかわらずJT側は『職場とのマッチング』や『周囲の負荷』などを理由に復職不可と判断していました。

また、JTは大手企業であり、Aさんの働ける就労場所・職種があるはずです。受け入れ体制を整えるなどして、きちんとAさんを復職させる必要があったのではないでしょうか。

しかし、JTはそうしたことをせず、休職期間の満了によってAさんを退職に追い込むために、形だけの復職審査会を実施していたのではないかと考えています。

ですから、われわれの立場としては、休職事由が消滅していることから、Aさんの自動退職扱いは無効であり、かつ第1回の復職審査会以降の賃金支払いが認められるのではないかということで、地位の確認と賃金の支払いを請求しています」

また、同じく代理人を務める加藤桂子弁護士もJT側の責任について、以下のように訴えた。

「JTの就業規則には、休職期間中、休職となった事由が消滅した場合には、速やかに復職させるものとするといった記載があります。

また、会社が必要と認めた場合、精神疾患から復職する者がいる場合には、復職支援プログラムが利用できるといった制度も存在しています。

それにもかかわらず、そうした復職に向けた対応をしなかったというのが、本件の事案であり、従業員の働く環境を整える義務を果たさなかったという点で、大きな問題ではないでしょうか」

「何をすれば復職できるのか、具体的に示されなかった」

この日、会見に出席したAさんは、訴訟に至った経緯について次のように語った。

「もともと自分はたばこが好きだったので、分煙や喫煙環境の整備にフォーカスできる会社はほかにはないと思い入社し、やりがいをもって前向きに働いていたと認識しています。

2度目の休職後は速やかに症状が回復したこともあり、その後は複数の資格を取得したり、放送大学に通ったりするなど努力を重ねたつもりです。

最初の復職審査後には、会社から指示を受け、発達障害専門のリワークのプログラムにも参加し『今度こそ復職できるだろう』と思いましたがかなわず、その後の審査でも何をすれば復職できるのかは示されませんでした。

そこで、自分ではこれ以上どうしようもできないと思い、日本労働評議会に助けを求めて団体交渉をやってきましたが、それも決裂となったことで、今回訴訟を決意しました」

なお、初回期日は未定で、Aさん側の代理人・労組の双方は、団体交渉の決裂後、これまでにJT側とのやり取りなどは特に行っていないという。

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