22年連続「司法試験」不合格、61歳でキャリアスタート…80歳“現役”女性弁護士「モチベーション持続」できた“たった一つの極意”

弁護士JP編集部

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22年連続「司法試験」不合格、61歳でキャリアスタート…80歳“現役”女性弁護士「モチベーション持続」できた“たった一つの極意”
いまも成長意欲を持ち続ける神山弁護士(弁護士JP編集部)

日本最難関試験といわれる司法試験。現在、最前線で活躍する弁護士でも、複数回の不合格を経験しているケースは少なくない。だが連続22回不合格、期間にして37歳から59歳の22年間にわたり、チャレンジし続けた人となると、神山昌子弁護士を置いて他にいない。

会社員に置き換えれば、神山弁護士が司法試験に挑戦し続けていた期間は、責任者としてなんらかの役割を担い、会社をけん引するポジションにいるケースがほとんどだろう。それを踏まえても、その間に仕事以外の時間を割くことがそもそも難しいタイミングだ。

20年以上挑戦を続けられた理由

なぜ神山弁護士は、社会人として脂がのり、最も活躍できる時期に、ひたむきに挑戦を続け、そしてなによりモチベーションを保ち続けられたのか。

「性格的な部分も大きいかもしれません。私は何かをするとき、優先順位を決めるんです。一度決めたらそれを変えることはしません。弁護士になると決めた34歳のとき、私の中の人生の最優先が“司法試験に受かること”だったんです。それに従ってきただけのことなんです」

神山弁護士はさらりと振り返る。その間、生活費はパートタイムで稼いでやりくりした。大学卒業後は商社に勤めており、仕事はできる。コミュニケーション能力も高い。パートタイムで働いているときに、「正社員としてやってほしい」と声をかけられたことは1度や2度ではなかった。だが、それを受諾すると「優先順位」が崩れるため、断り続けた。

過去に一度、離婚を経験していた神山弁護士は、シングルマザー。正社員の誘いは普通ならなびいてもおかしくない。それでも、そうしたオファーに気持ちがなびくことは微塵もなかったという。

「不合格が続きましたが、もう少しで合格というラインだったんです。夢に近づいている実感があったので、とくに気持ちがしぼむことはありませんでした。とはいえ、実際には落ち続けています。そんなとき、息子が『お母さんの夢なんでしょ』と背中を押してくれたんです。決して母親らしいことを十分にしてやれたわけではないのですが、その言葉に背中を押してもらえましたね」

合格を目指し、塾などにも通わず、独学で司法試験合格を目指し続けた22年。長すぎる受験勉強にも思えるが、漫然と時間を消費していたわけではない。この間、保険会社やクリーニング店、役場などさまざまな業種を渡り歩いた。その都度、職場の組織構造やビジネスモデルを意識していたという。もちろん、弁護士になったとき、“財産”になると見越してのことだ。

他人から見れば無謀でも、本人にとってはその先にある明確なゴールへ向かうプロセスの一環。そんな発想の持ち主だからこそ、22年もの長期間、気持ちを切らさず、難題に向き合い続けられたのだろう。

23年目で合格の瞬間「合格する試験なんだ」としみじみ

神山弁護士がついに合格した瞬間を振り返る。

「『合格する試験なんだぁ』。23回目の司法試験に合格した時、泣くほどうれしかったですが、一方で率直にそう思いました。結局合格していなければ、私は人生を無駄にしたんじゃないかと考えたこともあります。でもそれはない。どうしても弁護士になりたくて諦めなかった。だから合格できたんですから」

奇しくも、多くの企業が定年年齢としていた60歳が節目となり、夢に描いた弁護士としての活動をスタートさせた神山弁護士。定年のない弁護士の世界には、70代、80代の弁護士も珍しくない。だが、22年間、司法試験を受け続け、61歳でデビューした弁護士は稀有だ。

いきなり“失敗”からスタートした弁護士人生

晴れて61歳で弁護士生活のスタートを切った神山弁護士だが、いきなり失敗をやらかしてしまう。債務整理で相談に来た相談者に、熱心に弁護方針を説明したものの、結局、受任には至らなかったのだ。

「どうやって返済していくかを詳しく丁寧に説明したのですが、お金がなくて困っている人に頭ごなしに返済計画をこんこんと話しても困惑しますよね。『あっ、相談者は過払いもあった可能性があるのに、なぜそのことを話さなかったんだろう』と後になってハッとしました。未熟でしたね」

もっとも、神山弁護士の足跡をたどれば、失敗からのスタートも“らしさ”全開だ。その後は失敗を糧に、脳にしみ込んだ法律知識、22年の多様な職歴と60年以上の人生経験を存分に活かし、相手の気持ちに寄り添った誠実な弁護で、多くの相談依頼を解決に導いてきた。

「いろいろな職種で雇われましたから、相談者の気持ちにすっと寄り添えるんです。だから相談者を上からみることはありませんし、聞き役に回れます。それは他の弁護士にはない私の強みかもしれません。最初は苦悩にまみれた顔つきだった相談者が、解決後にがらりと表情が変わり笑顔で喜んでくれると、本当に『弁護士になってよかった』と実感します」

寄り添う弁護士として、依頼者からの信頼も厚い(弁護士JP編集部)

少年事件では母親のように親身に依頼者を叱ったり、離婚の相談者には自身の経験も踏まえ、やさしく助言をしたり、借金相談では節約術を助言したり…。「弁護士にみられることがあまりないんです」という神山弁護士は、親近感も持ち合わせ、頼りになる法律の専門家として相談者から信頼されている。

「司法試験を目指した22年を含め、これまでの人生経験はすべてが本当に弁護士としての職務に役立っています。一方で、相手の気持ちがわかり過ぎるのが私の欠点とも言えるかもしれませんね」と神山弁護士は苦笑する。

骨折しても穴をあけなかったバイタリティ

遅咲きスタートとなった弁護士人生。だが、これまで大病を患うことなく、むしろ骨折や少しくらいの体調不良でも、仕事に穴をあけなかったというバイタリティで力強く歩を進めてきた。「依頼者の方は不安で仕方がない状況。だから、こちらの事情でも、穴をあけるのは忍びなくて」。

80歳にして、心・技・体が充実し、エネルギーがあふれている。話しているだけで元気がもらえる。

「年齢のハンデは感じたことがありません。あえて意識するのは『つらい』と感じた時だけかな。その時だけは年齢を言い訳にさせてもらってます(笑)。でも、世の中には結構、年齢制限があって窮屈だったりするんですけどね」

「2025年問題」をどうみているのか

5人に1人が75歳以上の後期高齢者になる人口動態は、「2025年問題」といわれる。労働人口の減少や社会保障制度の仕組みに軋みが生じることなどが、国力低下につながりかねないというリスクをはらむ社会問題だ。

「法改正で今後、働く年齢がどんどん後ろ倒しされていくのはもう必然でしょう。別に『問題』ではないと私は思います。可能なら、いくつになっても働き続ければいいのではないでしょうか」と神山弁護士はさらりという。

確かにその通りだろう。だが、多くのシニアは、気力や体力の低下を理由に定年を超えてもなお働き続けることにどちらかといえば消極的だ。この点について、神山弁護士は、いつまでも働き続けるコツを伝授する。

「できることとできないことを明確に分けて、やれることだけをやればいいんです。それがなにかわからないなら、一度やってみて『ダメだ』と思ったら、できないことに分類してやらなければいい。仕事を続けていると、気力も体力も維持されるし、いいことづくめですよ」

やれないことはやらず、やれることをやりながら、働き続ける。すぐれた仕組みや制度をひねりだすよりも、明快で本質をついた「2025年問題」の解決策といえるだろう。

今後も「勉強し続け、成長し続ける」

弁護士になって19年。傘寿を迎えてなお、躍動する神山弁護士は今後をどう考えているのだろうか。「このお仕事は常に変化していく法律にあわせて自分も勉強をし続けないと、やっていけません。司法試験を目指し始めたときからいまに至るまで勉強を続けていますが、もっと学んで成長して、できる限り現役でい続けたいですね」

この途切れることのない向上心こそ、神山弁護士がいつまでも元気で活き活きし続けられる秘訣なのだろう。

実は、神山弁護士のチャレンジはここで終わらない。なんと、78歳から新たな挑戦をはじめているという。

80歳を前に舞台にも挑戦している(神山弁護士提供)

「77歳まではスキーが趣味でストレス発散になっていたのですが、いまはそれに代わって演劇をやっています。もともとは鑑賞する側だったのですが、縁あって舞台に立つ側になりまして…」

舞台では年相応の役が多いというが、女王様を演じたこともあるという。あくなき好奇心、探求心、行動力。神山弁護士の生き様には、後期高齢者がより充実したシニアライフを歩むために…いや年齢に関係なく、人が前向きに生き続けるにはどうすればいいのか、参考にすべきヒントや要素が凝縮されているーー。

【神山昌子プロフィール】大学卒業後、商社に勤務し結婚退職。出産後に離婚。34歳のとき、パートの待ち時間に読んだ法律書がきっかけとなり、弁護士になることを夢に描く。37歳から挑戦し、23回目のチャレンジでついに司法試験に合格。61歳で弁護士に。「法テラス」の一期生として北海道・旭川に赴任。現在は東京の法律事務所で勤務。

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