世田谷一家殺害事件発生から22年 事件現場の今
平成最大の未解決事件と呼ばれる、世田谷一家殺害事件(上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件)の発生から、12月30日で22年をむかえる。
事件は2000年12月30日の午後11時から翌31日の未明にかけ、東京都世田谷区上祖師谷の会社員宮沢みきおさん(当時44)宅で発生したもの。妻の泰子さん(当時41)、長女のにいなちゃん(当時8)、長男の礼君(当時6)の4人が包丁で刺されるなどして殺害された。
警視庁はこれまでに延べ約29万人の捜査員を投入し、犯人に関するもっとも有力な情報提供者には、懸賞金として2000万円の支払いも公表されてきた。当時、現場には多くの遺留品が残され、犯人の指紋、血液型、DNA型も判明しているものの、いまだ解決には至っていない。
遺族に家屋の取り壊しを打診
12月10日、現場付近や最寄りとなる成城学園前駅などで、警視庁の捜査員らが犯人の特徴などが書かれたチラシやマスクを配布、事件の情報提供を呼びかけた。また、17日には、現場近くの公園で、遺族による集会も開かれ、宮沢みきおさんの母・節子さん(91)、付近の住民が集まり「事件の早期解決」を願うなど、現在も事件に関する捜査・活動は続けられている。
犯行現場となった家屋は、現在も都立祖師谷公園内に残されている。事件発生当時、警視庁が証拠保全のために、遺族に対し住宅の取り壊しの延期を要請したためだ。2019年には、家屋内の証拠などはすべて保全が完了、記録化したとして、今度は遺族に家屋の取り壊しを打診する。しかし、その後は、事件の風化を懸念する遺族の意向に沿い、取り壊しの計画はいったん中断されている。
建物は東京都の所有に
事件が起きた家屋は、公園内の北側に位置する場所にある。令和4年に公表された東京都建設局『祖師谷公園マネジメントプラン』によれば、この周辺は「遊具広場ゾーン」に指定されるエリアとなっている。家屋の裏手(北側)には、遊具が設置されている。
前出のプランによれば、公園の改修・再整備については、「長期的な視点に立つことを基本とし、改修・再整備の対象となる施設の現況特性等に応じ、個別に方針を定めて行う」とされているが、いまだ「完成」の状態ではないという。開発が進まない背景に、事件の家屋の保存も取りざたされることも多いが、周辺の用地買収のめどや、公園北部の都市道路計画(補助54号線)など、さまざまな要因が指摘されているのが現状だ。
事件当時も、公園の拡張工事が進められ、宮沢さん宅も用地買収に応じ転居する予定であった。現在、建物は東京都の所有となっており、前出の取り壊し延期に関しても、遺族と東京都との間で話し合いが進められてる(建物の撤去を猶予する契約(1年更新)を結んでいる)。
12月中旬に訪れた現場には、テレビ中継など見た覚えのある人も多い、現場前に24時間態勢で配置された捜査員(成城署員)の姿は、今はもうなかった。2020年2月、前出の通り、すべての証拠保全を終えたとして引き揚げているからだ。
枯れ木も生い茂る家屋周辺は、平日の午前中は人通りも少なく、すぐ近くの調布経堂停車場線(都道118号線)を走る車の音、駒沢大学グラウンドから野球部であろう部員のかけ声が小さく響くだけで、とても静かである。
現場のすぐ横(西側)を流れる、仙川。川沿いの歩道で犬の散歩をしていた、少し離れた場所に住んでいるという女性は、事件に関するぶしつけな質問に対し、「早い解決を願っています」と話してくれた。
「公訴時効」は廃止されている
この事件は、日本の司法制度を変えるきっかけのひとつになった。
宮沢みきおさんの父、良行さん(故人)が中心となり、殺人事件被害者の遺族会を設立、重大事件の時効撤廃を求める活動の後押しもあり、2010年には「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」が成立。殺人罪など死刑に当たる重大事件について、それまで25年だった「公訴時効」は廃止された。だからこそ、何らかの解決への糸口をと、現場を訪れ、強く願わずにはいられなかった。
警視庁のホームページでは、『上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件』に関し、犯人のものとされる衣類のメーカーや販売場所のみならず、当時のヒット曲、流行語、当日のテレビ番組表にいたるまでの詳細な情報、これまで判明している状況や証拠について公開している。
【情報提供・問い合わせ先】
警視庁・成城警察署
上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件特別捜査本部
電話:03-3482-3829(直通)
電話:03-3482-0110(代表)
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