求人票と「異なる」労働条件なのに入社時サインしてしまった…雇用契約の成立後でも無効にできる?
「条件、ぜんぜん違うがな!」
魅力的な条件 → その後、ショボい条件に。
求人票 vs 労働条件通知書。
求人票では魅力的な条件を掲載しておきながら、入社時に「これにサインして」と言われた労働条件通知書ではショボい条件に変更されていた事件です。
■ 求人票
・雇用期間 定めなし
・定年 なし
■ サインを求められた書面
・契約期間 1年
・定年制 あり
裁判所は「サインしてても同意したとはいえないね。雇用期間の定めナシって契約だからまだ社員としての地位あり。バックペイ360万円はらえ」と命じました(福祉事業者A苑事件 :京都地裁 H29.3.30)。
現在どこも人手不足なので、少し盛られた条件が書かれた求人票が多いかもしれません。実際に働き始めるときには求人票と食い違いがないか労働条件をキチンと確認しておきましょう。
今回は社員さんが勝ちましたが裁判所が「サインしたんだから同意してたよね」と判断して社員が負けるケースもあります。サインは危険です。以下、事件とともに分かりやすく解説します(弁護士・林 孝匡)。
事件の当事者
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▼ 会社
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・障害児童に対する放課後デイサービスを行う会社
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▼ Xさん
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・64歳(入社当時)
どんな事件か
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▼ お!ええ仕事じゃん
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Xさんは介護の仕事などをしていたのですが、転職先を探していたようです。ハローワークでY社の求人票を見つけます。そこにはこんな記載がありました。
- 雇用期間 定めなし
- 定年 なし
64歳のXさんとしては好条件です。定年がなく契約期間もないから切られることなく安心ってことです。給料も25万円と魅力的だったので応募することに決めました。
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▼ 面接
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Xさんは求人票のコピーを持って面接に行きました。
Xさん
「定年制はナイんですよね」
社長
「まだ決めてないです」
契約期間があるかナイかもやりとりはありませんでした。
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▼ 手わたされた労働条件通知書には!
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勤務初日、社長はXさんに労働条件通知書を示して説明し「これに署名してほしい」と求めました。そこにはこんな記載が…。
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契約期間 1年(更新する場合あり)
定年制 あり(満65歳)
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全然ちがうがな!
以下、判決文を会話風に再構成。
ーーー Xさん、サインしちゃったんですか?
Xさん
「はい。拒否すると仕事が完全になくなり収入が絶たれると思い、特に内容に意を払わず署名押印しました」
ーーー 契約期間あり、定年65歳と書かれていることに気づかなかったんですか?
Xさん
「はい。その後、数か月して労働組合に相談にいったときに労働条件通知書を見てもらったんですけど、労働組合の人に指摘されて初めて気づきました。驚きました」
ーーー 1年の契約期間が経って、どうなったんですか?
Xさん
「契約が終了したものとして扱われました」
Xさんの請求
Xさんはカッチーンですわな。訴訟を提起。Xさんの言い分は「契約期間ナシということで契約した。だから契約は終了していない」というもの。
裁判所の判断
Xさんの勝訴です。裁判所はザックリ「求人票どおりの契約が成立している。すなわち、定年制はナシで、無期雇用だ。なので契約は終了しておらず、Xさんはいまだ社員だ。バックペイ360万円はらえ」と判断。
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▼ 求人票 vs 労働条件通知書
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会社の反論は以下のとおり。
会社
「最終的に労働条件通知書にサインしたじゃないですか」
「そこには【1年契約、定年制あり】って書いてたので1年契約で合意が成立してます」
ーーー のんのん! サイン=同意【とは言い切れない】んですよ。裁判官さん、正確にお願いします!
裁判官
「はい。使用者が提示した労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当ではありません。当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきです」
ーーー あとは、本当に自分で決めてサインしたのか? それともサインせざるを得ないような状況だったのか? ってところですよね。
裁判官
「はい。最高裁が言ってるように、その同意の有無については、当該行為を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも判断されるべきです(山梨県民信用組合事件:最高裁 H28.2.19)」
ーーー 今回のXさんのケースは、どうでしょうか?
裁判官
「Xさんの自由な意思に基づいてサインしたとはいえないですね」
ーーー 理由はどういったところでしょう?
裁判官
「重視したポイントは以下のとおりです」
- 契約期間のあるなしは、入社しようとする人にとって給料と同じくらい大事なポイント
- 定年制のあるなしも同じく重要ポイント
- 求人票と異なっていることを社長が詳しく説明しなかった
- サインを求められた時にはXさんはすでに前の職場を辞めていたので、サインを拒否すると仕事が完全になくなってしまう
裁判官
「なので労働条件通知書にサインしたとしても同意していないと判断しました」
「Xさんと会社の労働契約は今なお継続しています」
ーーー となると、バックペイですよね?
裁判官
「はい」
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▼ 衝撃のバックペイ
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バックペイとは、過去にさかのぼって給料がもらえることです。具体的には【解雇された日から → 訴訟になって → 判決が確定する日までの給料】のことです(民法536条2項)。
今回のケースでは約360万円です。約2年(月15万円)。
Q.
転職してしまった場合は、どうなるんでしょうか?
A.
転職したとしても基本、6割の給料をもらえます。今回はそのケースです。ただし「元職場に戻る意思がある」と認定できる期間分だけです。裁判官が「もう戻るつもりないよね」と認定した時点以降はもらえません。でも、かなりデカイですよね。会社からすれば衝撃です。
さいごに
今回はサインしてたとしても勝てたケースですが、このようにうまくいくとは限りません。
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▼ 社員が負けたケース
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藍澤證券事件(東京高裁 H22.5.27)
協議の結果、求人票と異なる合意がされたケース。「キチンと内容を把握してサインした」と認定されてしまうとサインした書面どおりの合意が認定されてしまいます。
なので、少しでも「この内容おかしいのでは」と感じたなら、サインする前に相談しましょう。
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▼ 相談するところ
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労働局(相談無料・解決依頼も無料)。労働局からの呼び出しを会社が無視することもあるので、そんな時は社外の労働組合か弁護士に相談しましょう。
今回は以上です。これからも働く人に向けて知恵をお届けします。またお会いしましょう!
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