「陸自UH60JAヘリ墜落」行方不明4人も“死亡”判断 事故原因のカギ「空白の2分間」に何が起きたのか?
4月に沖縄県宮古島付近で発生した陸上自衛隊第8師団所属のUH60JAヘリコプター墜落事故について、陸上自衛隊は5月31日、行方不明となっている4人を死亡と判断したと発表した。これまで6人の死亡が確認されており、搭乗者全員が死亡したことになった。事故原因など詳細はいまだ明らかになってはいないが、今回の事故で想定でき得ること、そして自衛官の任務・覚悟などについて取材などを通じて自衛隊と関わってきた記者が考察する。
「南西空域で航跡消失」
胸騒ぎにも似た感情とともにその一報に接した。パソコンで入稿作業中、画面に流れたニュース一覧の一つが陸上自衛隊のUH60JAヘリが消息を絶ったことを知らせていた。これまでの記者経験から消息を絶ったということはすなわち、墜落した、ということを意味していた。
東京・市ヶ谷の防衛省内に置かれる陸上自衛隊の司令部、陸上幕僚監部は、事故後から報道各社向けのニュースリリースを発信し、事故の情報を知らせ続けている。ヘリは、沖縄県の宮古島周辺空域で海岸地形を把握するための航空偵察を行っていた。搭乗していた隊員は、第8師団長の坂本雄一陸将以下、操縦手2人、整備士2人、搭乗員6人の合わせて10人。ヘリは4月6日15時46分、航空自衛隊宮古島分屯基地を離陸。その10分後の同15時56分、宮古島北西の洋上でレーダーから消失した。
海上自衛隊艦艇、海上・航空両自衛隊の航空機、陸上自衛隊部隊、海上保安庁巡視船による懸命な捜索が続き、4月16日午前8時半頃に5人、18日午後1時頃に1人、搭乗員が発見された。6人は死亡が確認され、それぞれ第8師団長、坂本雄一陸将(55)、第8師団司令部の庭田徹1等陸佐(48)と神尊皓基(こうそ・ひろき)3等陸佐(34)、第8師団第8飛行隊の山井陽(あきら)3等陸佐(47)、内間佳祐3等陸尉(27)、宮本敬士(たかし)2等陸曹(34)であることが確認された。
「守りの比重、北から南へ」
ロシアによるウクライナへの侵攻は、平和がたやすく踏みにじられることを示した。ロシア、さらに中国、北朝鮮。日本を取り巻く脅威は増している。2015年9月には、集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法案(平和安保法制)が国会で可決された。尖閣諸島の所有権を主張し、実力行使にも乗り出そうとする中国に対抗するため、陸上自衛隊は北から南へ、守りの比重を大きくシフトさせている。
沖縄県・周辺海域は、那覇市に司令部を置く陸上自衛隊第15旅団が担任するが、有事の際は熊本市に司令部を置き南九州の3県を担任する第8師団も増援部隊の一翼を担う。責務は重く、トップの師団長には優秀な幹部があてられ、現在自衛隊制服組トップの吉田圭秀統合幕僚長もその任に就いていた。
「2分間に何が起きたのか」
最後の交信からレーダーロストまで約2分間。ヘリに一体何が起きたのか。
墜落の原因については、中国の関与も取りざたされたが、その可能性はないようだ。ミサイルなどによる攻撃の場合の爆発音などは聞かれていない。海中から回収された機体の一部からも焼け焦げたような跡は見られない。電磁波の影響も報告されてない。
防衛問題にも詳しい青山繫晴参議院議員は現職自衛官から得た情報なども踏まえ、SNSで一つの見解を示した。それは、現地の地形等の情報をより細部まで確認するため、最低高度まで下げ、深いバンク(機体の傾き)で飛行し、それに突風など予期せぬ気象条件が重なり失速につながった、というもの。
バンク角による墜落の可能性について、現役のとある自衛隊のヘリ操縦士は、墜落の危険にもつながる60度のバンク角について、「よほどの不測事態がない限り、それ(60度)を超えるような飛行はありえない」と語った。
さまざまな推測が飛び交う中、一つのニュースが飛び込んだ。読売新聞が5月24日、海底から回収されたフライトレコーダーの分析をスクープした。同紙によると、墜落直前にエンジンの出力が急低下、エンジンの異常音や機体のトラブルを知らせる警報音なども記録されていたという。
しかし、それでも、出力が急低下した理由は現時点では不明だ。原因の真相。それを知るには、事故当日に陸幕に立ち上げられた航空事故調査委員会による数カ月はかかるであろう調査報告を待たなければならない。
「献身に支えられる平和」
防衛省の敷地の一角。内部部局、陸海空、統合幕僚監部などが入る庁舎とはやや離れた木々に囲まれた場所に、「自衛隊殉職者慰霊碑」がある。慰霊碑には、戦後の警察予備隊以降、現在に至るまでの訓練中の事故などによって亡くなった陸海空自衛隊・機関のおよそ2千柱の隊員の御霊がまつられている。そうした隊員たちの献身によって、この国の、日本の平和は守られている。
陸上自衛隊トップの森下泰臣陸上幕僚長は、防衛省内で行った記者会見で事故に触れ、こう語った。「これまで国防のために全身全霊を捧げてきたかけがえのない隊員の命を失うことになってしまったことは、痛恨の極みであります。故人のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様に対して、お悔やみ申し上げます」。
「事の臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」―。入隊の際に誓う「服務の宣誓」の言葉。筆者が出会ってきた自衛官らは、みな命懸けの任務、訓練をもものともせず責務を完遂せんとする今に生きる令和の武士(もののふ)は、人情味あふれ温かく、強く、優しく、時にユーモアを持ち、そして誰より国家と国民のことを思っていた。志半ばに亡くなられた隊員たちに、深甚の哀悼の誠を捧げたい。
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