外国籍“非行少年”「矯正教育」の厳しい現実 ベテラン保護司が語る、罪を犯す子どもたちの “ある共通点”
平成後期を境に、少年犯罪や非行の件数は減少の一途を辿っている。一方でひそかに問題となっているのが、外国籍の少年少女らによる非行や犯罪だ。
愛知県豊橋市にある「廣福禅寺」の住職・今泉照玉さん(64歳)は、保護司として多くの非行少年の矯正教育に携わってきた。寺院内の敷地を使い、農業体験を通じた立ち直り支援も行っている。
日本人だけでなく、ブラジル・フィリピンを中心に外国籍の非行少年も担当してきた今泉さんは言葉や文化の違いから、「外国籍の非行少年は、日本人少年たち以上にコミュニケーションを取るのが難しい」と語る。そして、何よりも問題視しているのは、在留資格の関係から入国管理局に連行される少年たちの行く末だ。
外国籍の少年少女たちが犯罪や非行に走る背景には、一体なにがあるのか。
実は関係が深い、お寺と矯正教育
本題に入る前に、まずは日本の保護司制度について解説しておこう。保護司とは、保護司法および更生保護法に基づき、法務大臣から委嘱を受けた非常勤の国家公務員だ。犯罪や非行に陥った者の更生を任務としており、身分としては国家公務員だが、実質は民間のボランティアで俸給は支払われていない。
現在の保護司制度のルーツは、1922(大正11)年に制定された旧少年法による「嘱託少年保護司制度」といわれている。今泉さんの家系では、大正時代から曽祖父、祖父、今泉さんと三代にわたって保護司活動をしているそうだ。
「戦前、曾祖父の時代から地域の代表として保護司活動をしていたと聞いています。戦後に少年法が改正され、今の保護司制度が誕生しました。祖父は戦後まもなく保護司になったそうなので、親子三代で数えると足掛け約60年ですね。私自身は40代で保護司になり、少年補導員としては16~17年くらい活動しています。祖父の引退後は、違うお寺の住職さんが地域の保護司活動をしていましたが、私が地元に戻ってきたことをきっかけに保護司活動を引き継ぎました。祖父や父の活動を見ていて興味はありましたからね」(今泉さん)
そもそも日本の更生保護事業は、浄土真宗本願寺派を中心とする仏教教団や、キリスト教の団体とともに歩んできた側面がある。政教分離の原則が生まれる以前の大日本帝国憲法下では、官吏として宗教者が監獄教誨師(※刑務所で受刑者に対して説教する役割)を担っていた。そのような歴史的背景から、保護司などの矯正教育活動に携わっている寺院や僧侶は多く、今泉さんもその一人というわけだ。
親子の溝や性被害に苦しむ外国籍の少年少女たち
本題に戻ろう。外国籍を持つ非行少年を、公的文書では「来日外国人非行少年」と呼ぶ。今泉さんが担当するブラジル国籍の少年たちは、戦前戦後に祖父母がブラジルへ入植し、数十年経って日本に戻ってきた三世、四世が多い。親が現地で結婚、出産し、子どもを連れて戻ってきているという。
「ブラジル国籍の家庭だと、子どもは小さい頃に来日しているので日本語を話せますが、親はしゃべれないため、親子間でコミュニケーションを取れていないことが多いです。フィリピン国籍だと、祖母や母が出稼ぎで来日し、水商売などで働くなかで非嫡出子として生まれた二世の子たちが多いですね」(前出・今泉さん)
そして、来日外国人非行少年の中で目立つのが、家庭内で性被害に遭い、家出をした先で犯罪に加担させられる事案だという。
「女の子の場合、親の再婚相手から被害に遭うことが多く、逃げ出した先で悪い男に捕まって美人局(つつもたせ)などをさせられています。男の子だと、傷害や集団での窃盗が多いです。愛知県は自動車工場が多い土地柄、同じ国籍同士でのグループが形成されやすい。職場などで知り合った少年を中心として、少女らが犯罪に巻き込まれるケースが目立ちます」
イジメがきっかけで非行に走る少年たち
また、来日外国人非行少年たちには、「とある共通点がある」と今泉さんは続ける。
「幼い頃に来日したほとんどの子が、小学校で日本人にいじめられている。そのトラウマから、中学に入り身体が成長すると、周りを警戒して暴力を振るうようになるんです。言葉の問題から自分の感情をうまく伝えられず、暴力や窃盗に走って気持ちを発散してしまう。すると居場所がなくなってしまい、義務教育を途中でリタイアしてしまいます。外をふらふらしているうちに地元の外国籍仲間が集まり、小さなグループができて犯罪に走る。補導や保護観察で上がってきた子を見ると、ほとんどがそのパターンです」
鑑別所に送られる少年の多くが、日本社会になじめなかった者たち。鑑別所に送られた後も日本人少年たちとは異なり、入国管理局絡みの問題も立ちふさがる。
永住権の問題から入管へ
「同じ法務省であっても、入管と僕たちはまったく別の組織なので、情報が入ってきませんが、鑑別所や少年院に送られ、『戻ってこないな』と思っていると、永住権などの問題で入管に引っかかって収容されています」(同前)
入管法62条3項および5項により、外国人少年を少年院から退院させるときは、少年院長は直ちに所轄の入国審査官または入国警備官に通報しなければならない。そして同法64条2項により、「収容令書または退去強制令書の発付があったときは、退院・仮退院によりその者の収容を解除する際に、釈放と同時に入国警備官に引き渡さなければならない」と定められている。
入管に送られた時点で保護観察の規定から外れてしまうため、今泉さんら保護司や警察は介入できなくなってしまうのだ。
「在留資格を取得できて入管から戻ってきた子からは、本人や保護観察所から連絡がくることがあります。でも強制送還となってしまうと、そこでつながりが切れてしまう。1年や2年、短い子では1ヶ月くらい担当して、たくさん話をして、日本で生活していくための立ち直り支援をしていたので、僕らではどうしようもないことだけど、やっぱり寂しいしつらいです」(今泉さん)
難しい支援の現実
入管法を前に、自分たちの支援の手が「少年らに届かなくなることは歯がゆい」と今泉さんは嘆息する。そして強制送還とならず戻ってきた子であっても、保護観察が外れると連絡が途絶えてしまうことが多いという。
「中には個人的に頼ってくる子もいるので、アドバイスをしています。そういう行動力のある子は、自ら仕事を見つけて生活していけるようになりますね。日本国籍の子は10年15年経ってもお寺に遊びにきてくれますが、外国籍の子は交流がなくなりがちです」(同前)
今泉さんは警察とも連携しながら、保護司として、そして僧侶として「外国籍の少年少女たちにできることはないか」という思いで、農業体験や母国のお菓子作り教室といった取り組みを行いながら、手探りで進んでいる。
「彼ら、彼女らが安心できる居場所があれば多少何か変わるかな、と考えています。ウチの畑を使った農業体験も、その一環です。ただ、周りから行動を縛られるのを嫌う子が日本人よりも多いので、現実的には難しい部分も多いです。日本人の立ち直り支援、矯正教育と同じようにはいかない。今後どうしていこうか、まだまだ模索中です。一人ひとりの興味があること、好きなことを引き出して、支援を続けていきたいです」
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