退職意思“翻意”で会社を訴え「500万円」ゲットも…控訴され「全額返金」命じられた臨床検査技師のトホホな末路
「退職させていただきます」
Xさんはそう言ったのですが、後日、翻意しました。退職届を会社に渡さず弁護士に駆け込み「退職は成立していない」と提訴。
地裁
「退職は成立していないですね」
—— え? なんで!? 「退職する」って言ってるのに?
地裁
「懲戒処分をチラつかされて衝動的に言った可能性あるからです」 「会社はXさんに500万円以上払いなさい」
会社が控訴。
高裁
「地裁シャラップ! 完全なる退職の意思表示だ」 「Xさんは会社に500万円を返しなさい」
サイフに衝撃! 裁判は最後までどうなるか分かりませんね。
口頭で「辞めます」と言ったとしても、裁判所はそれが退職の意思表示と言えるかどうかを慎重に検討します。今回はトラブった上での「退職させていただきます」だったので高裁も入念に吟味したのですが、結果、退職認定されました。
どんな事件だったのか? 分かりやすく解説します。(医療法人A病院事件:札幌高裁 R4.3.8)(弁護士・林 孝匡)
※ 判決を簡略化した上で本質を損なわないよう一部フランクな会話に変換しています
登場人物
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▼ 会社
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・医療法人
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▼ Xさん
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・臨床検査技師
どんな事件か
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▼ Xさんのチョンボ?
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法人が、下記4点について、Xさんに疑惑を抱きました。
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1 医師の指示がないのに外注業者に対し無償で検査をさせた
2 医療機器メーカーに情報を漏洩した
3 上司の許可を受けずに取引先の費用負担で出張した
4 他の病院の誹謗中傷をした
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Xさんは4については謝罪しましたが「1〜3は事実誤認です」と反論しました。しかし法人側は信じませんでした。
事務部長
「厳しい処分を検討しているが、あなたが自主退職するのであれば処分をしません」
Xさん
「自主退職しない場合、解雇になるのでしょうか?」
事務部長
「分からない」
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▼ Xさんの朗読
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後日も面談が行われました。そのときXさんは1時間にもわたり弁明書を読み上げました。そして病院への不満や自分の思いをぶつけ「そんな上司の下では、私はもう、働く気はないです」と述べました。その後、以下のようなやりとりが行われました。
事務部長
「分かりました。そしたらもうXさんは自分で退職すると」
Xさん
「だから何らかの処分が下る予定なんですよね、多分。処分っていうのは、どういったことなんですか」
事務部長
「それは話せません」
Xさん
「じゃあ私は家族のために、もう処分が、私が自主的に退職するっていう部分で処分が免れるのであれば、そこは私は退職します」
事務部長
「それは今、退職するということでよろしいんですか?」
Xさん
「退職させていただきます」
事務部長
「はい、分かりました」
その後、事務手続きに移ります。法人側は退職願の用紙と返信用封筒などをXさんに渡しました。
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▼ 翻意か?
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しかし、Xさんは返送しませんでした。心変わりをしたのでしょう。Xさんは弁護士に相談します。「法人から根拠のない事実に基づく退職勧奨を受けている」と相談したんです。
依頼を受けた弁護士は「退職の意思表示を撤回する。また、強迫によるものだから退職の意思表示を取り消す」という内容の書面を法人に送ります。
しかし、法人はXさんが退職したものとして手続きを進めました。
舞台は法廷へ! Xさんの主張は「退職は成立していない」というもの。
ジャッジ
地裁
「退職は成立していない。合意解約が成立していないからだ。法人がXさんのチョンボを指摘し、Xさんは処分を受けることに思いを巡らせ、衝動的に退職する旨述べた可能性が十分に考えられる。したがって、Xさんの口頭の発言は退職の確定的な意思表示とは言えない」
Xさんがパニックになって「退職する」って言った可能性ありってことですね。しかし、
高裁
「シャラップ! 退職は成立している。Xさんの退職の意思表示が、法人からの圧力に屈して行われたとか、精神的に動揺した中で衝動的になされたとは認め難い」「Xさんは確定的な退職の意思を有していた。下記の事情を見てよ」
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・残っている有給休暇をすべて取得したいと発言していた
・その場で退職届に押印する気マンマンだった。Xさんは「印鑑を持っていない。母印でいいでしょうか?」と発言していた
・ロッカーの私物を持ち帰りたいと発言していた
・PCの中から自分に関係のあるデータを削除した
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ーーー Xさんは「強迫された」と主張してますが?
高裁
「してないね。法人側は多人数でXさんは威圧しておらず、2名で対応。面談内容も大声で退職を迫ったり、繰り返し退職を迫ったりしていない。むしろXさんが自分の思うことを長時間にわたって述べており、外形的に強迫があったとは認められない」
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▼ 500万円返せよ
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高裁はXさんに「500万円を法人に返しなさいよ」と命じました。地裁で勝って獲得したお金は、高裁で負けたら返さないといけないんです。なので皆さま、1勝しただけでお金を使い込んじゃダメですよ! 家に着くまでが遠足です、判決確定するまでが裁判です。(以下、判決文より引用)
■ マメ知識
口頭で「辞めます」「退職します」と言ったとしても、裁判所はそれが退職の意思表示と言えるかどうかを慎重に検討します。なぜなら、労働契約の終了は、労働者にとって生きる道を断たれるかもしれない事態だからです。今回の高裁も慎重に検討したうえで、高裁は「この状況での『退職させていただきます』は確定的な退職の意思表示だ」と判断しました。
ほかの裁判例(社員の勝ち)
今回は「強迫とは言えない」と判断されましたが、会社が社員Yさんに対して「懲戒解雇になるかもよ? 自主退職したほうがいいんじゃない?」みたいに迫ったとして、裁判になった事件もあります。(富士ゼロックス事件:東京地裁 H23.3.30)
Yさんは懲戒解雇を避けるために退職届を提出して自主退職しました。しかし納得できず訴訟を提起。裁判所は「自主退職は無効! 懲戒解雇できないケースなのにちらつかせて自主退職を迫っていたからね。Yさんに過去の給料と夏のボーナス、冬のボーナス、あわせて数百万円を払いたまえ」と命じました。
「退職します」と言ったとしても、会社の迫り方によっては強迫として取り消せるケースがあります。
相談するところ
とはいえ、退職届を書いてしまうと非常に厳しい戦いになります。会社から「退職届書けオラ!」などとどう喝されている方がいれば労働局に申し入れてみましょう(相談無料・解決依頼も無料)。
労働局からの呼び出しを会社が無視することもあるので、そんな時は社外の労働組合か弁護士に相談しましょう。
今回は以上です。これからも労働関係の知恵をお届けします。またお会いしましょう!
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